の茶みせに憩ひ褒めつつ食《た》うぶ
バス待ちてうづくまりゐる小半時《こはんどき》大原なればこころいらだたず
秋深みひにけにもみづ山山のはえのきわみに一日《ひとひ》くらしつ
山城の国のまほらの畳《たた》なはる青山垣《あをやまがき》のこのみやこはも(家に帰りて京をたたふ)
今朝見れば君に見せなと拾ひ来しきそのもみぢ葉見るかげもなし(あくる朝よめる)[#地から1字上げ]十一月五日

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落葉の薄命の美をたたふる歌 六首
 昨日拾ひ来し落葉、けふは見るかげもなし
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けさ見れば君に見せなと拾ひ来しきそのもみぢ葉見るかげもなし
もみぢ葉は落ちしたまゆら掌《て》にとりて濃染《こぞめ》のさやけめづべかりけり(以上二首前出)
もみぢ葉のおのづと落ちしたまゆらは栄《さかえ》のきはみ枯衰《ほろび》のはじめ
もみぢ葉の栄のさかりはおのづから落つるたまゆらのいのち短く
落ちしける落葉《おちば》にはなほいのちありてたまゆらのまに魂《たま》よばひあへず
つくづくと見れば花にもいやまさる落葉《らくえふ》の美《び》を誰か知るらむ(左千夫歌集に落葉数首あり、いづれも落葉をにくめり、詞華和謌集に見ゆる大弐資通の「梢にてあかざりしかばもみぢ葉の散りしく庭を払はでぞ見る」も、未だ落葉の美を知りたる者にあらじと覚ゆ)[#地から1字上げ]十一月六日

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絵葉書に書きつけて友人に送れる
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写真にもしみてありけめ大原のたたふる秋のものしづけさは
ゆかしともおもひてみませ千年《せんねん》の歴史しづまる京の秋ぞも[#地から1字上げ]十一月八日

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十一月九日偶成
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うつくしき山川《やまかは》をいめむよるもあり世をわすれゆくしるしなりけめ
見も知らぬ人にもぢぢと呼ばるまで我が身のかげはふけにけらしも
列に立ちやうやくハムを買ひえてき手柄顔《てがらがほ》して一日くらしつ[#地から1字上げ]十一月九日

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苔寺に遊ぶ
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秋晴れを吾子《あこ》とつれたち野みちゆくけふのひとひのゆたけきいのち
遠山はきだにさぎりてほのじろく近き田のもに牛すける見ゆ
木《こ》のまもる秋のうすびもあはくして苔のあをみにほのあをみつつ
庭の面《も》は木の根岩ぐまくまなくも苔にうづもる苔寺の土
広庭《ひろには》は天鵞絨《びろうど》苔《ごけ》にうづもりて道をたばさむ杉苔《すぎごけ》草苔《くさごけ》
しめなはは白髪苔《しらがごけ》つく杉の樹になかば朽ちつつ苔寺の隅
ひるくらきこの苔寺にかくろひて粥《かゆ》や食《を》しけむ岩倉具視(岩倉贈丞国は文治二年九月十五日難を避くるため姿を変じてこの寺にかくる)
苔寺の苔をも見ずてはたとせを京《きやう》の巷にすぐしけるわれ(嘗て京に住むこと二十余年、今日初めて苔寺を見る)
苔むせる山のおくがのふるでらのかどのみぎりに砂嚢《すなぶくろ》おく(到るところ戦時色を見る)
うどんやに小学児童もうどんたぶ配給の米足らぬにやあらむ
来て見れば人のよしとふ嵐山かははらに伏すつけ剣の銃(帰途嵐山に廻はる)[#地から1字上げ]十一月十三日

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氷谷博士埋骨式
 洛東法然院にて
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秋のすゑ大文字山のふもとにて土に入ります君をし送る
このゆふべ君のなきがらはふるとき雲ゆきなづみ山にしぐれす
しろたへのきぬにつつまるるものとなりて土に入ります古きわが友
このくれのしげきをのへのふところにきみがなきがらいましうづむる
秋山のしぐるるゆふべ土に入る君がなきがら目守《まも》りつつ立つ[#地から1字上げ]十一月十五日

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銭湯にひたりをり余りに心地好かりければ
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銭湯にもろ手もろ足うちのべて山のいでゆのここちしてをり[#地から1字上げ]十一月十七日
寒き日を銭湯にひたるひとときは王者にまさるとわれ思ひをり[#地から1字上げ]十二月二十四日

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拙稿「大死一番」を書き了へて
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ありしひをおもひいづればわかかりしおのがすがたをいとしとおもふ
一すぢに求め求めてやまざりしわかき日のわがすがた可愛《かな》しも

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拙稿「木下尚江翁」を書き了へて
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あひみしはたまゆらやどるつゆににてとはにけのこるひとのおもひで
わかき日の思ひ出いだき訪はまくと思ひゐし日に君みまかれり[#地から1字上げ]以上十一月二十四日

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拙稿「獄中の食物」を書き了りて
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人も我もただ食《を》し物のこと思ひ日をすごしゆく囚人のごと
敵《あだ》よりも恐ろしからむ食《く》ひ物のけふこの頃のこのともしさは
朝夕に甘きものほりすめしうどと同じきさまに人みな〔な〕れり
三大節に紅白のあんもちたまはりし牢屋《らうや》ぞむしろ今はよろしも
をすもののある国ならばいづことも移りゆかまく欲《ほ》りす日もあり[#地から1字上げ]十二月六日

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雑詠
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木箱よりひとつひとつとりいだし塵ふきて並《な》ぶ赤き柿の実(原氏より信州の柿一箱送り来たる)[#地から1字上げ]十一月十日
頭かきふみよみをれば紙のへに落ちくる髪の半ばは白き
さむき日をひねもすくりやにおりたちてわれに飯《いひ》はますわれの老《お》い妻《づま》[#地から1字上げ]十一月十八日
四坪にも足らはぬ宿のさ庭にも小鳥来りて何かついばむ
[#地から1字上げ]十一月二十七日
天井をときじくさわぐ鼠ありて何食らひてか生くと思はしむ[#地から1字上げ]十一月二十八日
老妻《おいづま》の買物に出でし小半日しぐれの雲よしばしこごるな
六十路《むそぢ》超え声色の慾枯れたれば食《を》し物のこと朝夕に思《も》ふ
自由日記老い果てし身の暇《ひま》多くことし初めて余白なくなりぬ
日を呑みて色はえにける西山に天津乙女の玉の肌見つ
日は沈み山紫に空赤く大路《おほぢ》小路《こうぢ》に灯火《ともし》見えそむ
[#地から1字上げ]十二月十日
こたつにていねつつ足を折り立てて亡き父の癖ふと思ひ出づ
うつくしと見上げしもみぢ落ちつくし乾き果てつつ吹き寄されをり[#地から1字上げ]十二月十一日
はばひろにふみならしくる軍服におそれをなして道をさけにき
人気なき阪を登れば御陵あり一人の守衛ひねもす守る(花園天皇の十楽院上陵に詣づ)
砂利しける十楽院上陵の阪道の杉の木立に鶫《つぐみ》むれとぶ
書き了へて憐むべくもおもほへり見る人もなき思ひ出のかずかず(「思ひ出」第二輯を清書し了りて)
版に刷るよすがもなくてはかなくも書きのこしおくわれの思ひ出
戦勝を神にいのらすすめらぎの忍びのみゆきけふありしとぞ
火用心火用心の声聞こゆ厠に起きし霙《みぞれ》ふる夜半
[#地から1字上げ]十二月十二日
老松のすがるる見ればかなしかり亡きおほははのすがたしぬびて[#地から1字上げ]十二月十三日

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山口の相沢君より重ねて餅を送られしを喜びて
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亡き友の病みこやりても得ざりしをすくやかにして食《を》すこの餅《もちひ》はも(氷谷博士既に重態に陥られ食慾なかりし折、餅を欲せられしも、この時勢とて入手し得られざりしことを思ひ起して)[#地から1字上げ]十月三十一日
をさな子ら食《は》ますべきものわれにさき送りたまひしこのもちひはも
わがとものこころこもりしもちひなりあなありがたとをがみてたうぶ
届きける木箱あくればもちひ出で蜜柑も出でつ芋もまた出づ[#地から1字上げ]十二月十四日

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間もなく米寿を迎へらるべき伯父上を須磨に見舞ふ、往復途上口占
[#ここで字下げ終わり]
竹藪をそがひにしたる家ののき干せる大根陽あたりよきも(電車中近望)
陽あたりの好き家見ればなにとなく羨みて見る老に入りぬる
老い去りて尿近くなり電車にて途中下車を余儀なくされぬ(尿意耐へがたく灘に下車す)
手紙には衰へたりとのらす伯父けふ相見れば矍鑠《くわくしやく》として
八十七にならせたまへる伯父訪へばひとりかたりて人の言《こと》聞かさぬ
ふるきこと頻りに語り今の世は知らさぬがごとわが老いし伯父
何度《なんど》でもけふは何日《なんち》ときくまでにわれ呆《ほ》けたりと伯父ののらする
ただ二つけさ来たばかりとのらしつつ出してたうべし羊羹のつつみ
天つ日はひかりかがやき海の面《も》は行きかふ船のこなたかなたに(須磨浦所見――船なしといへど未だ船影なきまでには至らず)
ゆらゆらとこぎたみてゆく船見れば戦ひのある日ともおもほへず
ひさに見ぬ海辺に立てばふるさとの麻里布の浦の眼に浮かぶかも
入日さすいただきのみはほのあかく煙れるがごと暮るる群山《むらやま》(帰途所見)[#地から1字上げ]十二月十五日

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偉人レーニンを思ふこと頻なり
[#ここで字下げ終わり]
たたかひにやぶることのみひたふるにねがひし人もむかしありけり
ふたたびは見る日なけむと決めてゐしレーニン集が今はこほしき[#地から1字上げ]十二月十六日

[#ここから4字下げ]
末川君の南行を送りて
[#ここで字下げ終わり]
おほぞらゆあらぶわだつみしたにみてみんなみのしまにとびてゆく君
みんなみにおもむく君をおくるにもこのたたかひのゆくへうれたき
たたかひはさもあらばあれゆかばまづうまざけくみてししたうべませ
うまざけをくむたかどのゆみはるかすひろらなる海|八十《やそ》の島々
うみこえていやすくよかにならせつつとくかへりませ京のひがしに[#地から1字上げ]十二月十七日

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白石※[#「山/品」、第3水準1−47−85]君の招待にて南座顔見世興行を観る
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いにし日のなごりかそけきうつそみのけふいめのごと南座に入る
ととせまへはつちにひそみて朝な夕な陽《ひ》の光さへ避けゐたるわれ
教へられやうやうに知る魁車の顔も声もみな忘れをり
大きかりし幸四郎も肉《しし》やせて声のちからも衰へけるか
遠つ世の夢路に会ひし人かとも名も変りゐる梅王を見守《まも》る
ふと思ふ大鼓《たいこ》鳴りて松王出でし二時の半ばはひとやのゆふげ(刑務所の夕食は十二月中午後三時半の定なれど日曜日祭日などは一時間繰り上げて二時半なりそれより全く火の気といふものなく窓の隙間よりは木枯の吹き入る監房の中にて湯さへ飲み得ず袷の股引を素肌に穿ちつつ便器に腰かけ就寝時間の来たるを待つ間の寒かりしこと長かりしこと今においてなほ忘られず歓楽の境に入り温飽の身を感ずる毎に忽ちにして当年を想起するを常とするなり)
十五年見ざりしものをけふ見つつゆたけきいのち一日経にけり(昭和三年春大学を退きし前年の冬より今に至るまで正に十有五年を経たり)[#地から1字上げ]十二月二十日

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雑詠
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わが歌はわが子の如しみにくくも生まれし歌はみな棄てがたし[#地から1字上げ]十二月六日
干柿《ほしがき》は一つ十銭と聞きつつもけふの一日《ひとひ》に三つ食ひけり
あぢはひのよろしきろかも老妻《おいづま》のかしげるものはなべてよろしも
九時すぎてさてと言ひつつ銭湯に出でゆく妻の下駄のあしおと
夜はふかみ街《まち》のとよみの消ゆなべに老ひにし耳に蝉なきやまず
鳴きしきる虫をまぢかに聞くごとし聾ひにし耳のよもすがら鳴る
眼も遠き耳さへ遠く心また遠きくにべを思ひをるかな
炬燵火《こたつび》にもろ手もろ足さし入れて心に浮ぶうたかたを追ふ
忽ちにかき曇りつつ雪ふりて忽ちに陽《ひ》は照る京の冬空
買物の列に立ちゐる妻を待ち吹雪のやむを祈りつつをり
看板はみな偽りとなり果てて餅屋に餅なくそばやにそばなく[#地から1字上げ]十二月二十日
ハム買ふと長蛇の列に加はりて二時間待ちてはつはつに買ふ[#地から1字上げ]十二月二十二
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