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小林輝次君に送る
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久振りの来状頗る元気なかりければ
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たたかひに得つる病の癒えがてにさびしみて君一人居るかも
さびしみて君ひとり居ると聞くなべに我もさびしむ百里へだてて
ときじくはまづしきゆふげともにして高やかに笑ふみ声聞かましを
君まさば時めく人をよそに見て碁など囲みてゑみてあらましを
えにしあらば尋ねても来ませ老妻と京のほとりにわびて住むやど[#地から1字上げ]十二月二十三日

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原鼎氏に送る
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数十日ぶりに長文の手紙来たる、今年も個展の成績頗るよかりし由
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熱病につかれしがごと絵につかれ三月ふみせずうちすぎし君
うれしくも個展の成績よかりしと親に云ふごと我に云ふ君
今もなほ天下《てんか》好事の客ありてうれしみて君の絵求むとや
仔兎の一つは眠り上ぼる月見て一つ立つ絵の見まく欲《ほ》り
克明に一つ一つの鱗かき雲母おとせし鰈の絵はも
春されば尋ねても来ませ東山いさよふ水に花のちる頃
一たびは尋ねて来ませ洛東に老いゆく我の尚ほ生けるうち
来ます日は食《は》ます米持ち来りませ米さへ乏し今のわが庵
老妻《おいづま》のかしげる飯《いひ》を食《た》うべつつ語りあかさな春の一夜《いちや》を
[#地から1字上げ]十二月二十四日

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歳末歌屑
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またここをいゆきするかとゆめにみつさめてののちはいづこともしらえず(たび重なりてあり/\と同じ土地に遊ぶ夢を見、夢の中にてしか思ひながら、さめての後は茫漠として定かならず、人にもかかる経験あるものにや)
堺より一羽の鶏《とり》を割きもちて尋ねてくるる友もありけり(福井君来訪。この頃鶏肉を手に入るること極めて難し。食事の公定価格は一人五円を最高限とするの規定なるも、二十五円出さばいつにも鶏肉を食し得る料理店あり、また一羽十五円出さば鷄一羽入手し得べしなどいふ噂を耳にすれど、所詮我には縁なきことなり。この日福井君一羽の鶏を割かしめ、大皿に盛りて遠く堺より持ち来りくれらる。好意感謝すべきなり。乃ちしるこを作りて饗す)
ふるさとの小豆《あづき》に湯山の餅入れてはつかにつくる味こきしるこ[#地から1字上げ]十二月二十五日
朝な夕な諸行無常とひびきたる寺々《てらでら》の鐘いま大砲《おほづつ》となる
とつくにの行列買をあざけりし日本人《につぽんじん》が今は列成すも
権力の命ずるがままに寝返れる女郎《ぢよらう》の如き学者ぞあはれ
おしなべて富める家庭はひややかに貧乏夫婦はよく喧嘩すも(原君の手紙の中に夫婦喧嘩のことなど書きありしより、自らも省みて)
末梢の些事を女房と争ひて怒れる我は見るにみにくし
身をおくにせまき家居をかこたざれせまき心ぞ恥づべかりける
貧しかる狭き家居も住む人のひろき心に家ぬちうるほふ
もろもろの物資ともしくなる〔な〕べに盗みごころの日々《ひび》にはびこる(銭湯にて屡※[#二の字点、1−2−22]シャツを盗まるる由聞きて)
[#地から1字上げ]十二月二十六日
配給の餅は一升四合ゆゑ湯山の餅はうれしかりけり(熊本県水山[#「山」に「〔上〕」の注記]村湯山の北御門氏より重ねて餅を送り来たる)
朝あけに水道氷り北山は雪まだらなる冬となりけり
おしなべて読む物よりも食《を》し物〔を〕喜ぶ老に我は入りけり(鈴木安蔵自著を寄せられしに対し)
[#地から1字上げ]十二月二十九日
ひとやにて八年《やとせ》まへより聞きゐたる浸[#「浸」に「〔進〕」の注記]々堂のパンをけふ食《は》む
わが友の日本一ぞと褒めゐたるパン屋のパンも今あはれなり
列なしてただ一きれのパン食むと街《まち》にあふれて待ちゐる人々[#地から1字上げ]十二月三十日
除夜なれどこよひは除夜の鐘聞かず寺々の鐘みな武器となり[#地から1字上げ]十二月三十一日



底本:「河上肇全集 21」岩波書店
   1984(昭和59)年2月24日発行
底本の親本:「河上肇著作集第11巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年
初出:「河上肇著作集第11巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年
※漢詩の白文に旧字を用いる扱いは、底本通りです。
※底本はこの作品で「門<日」と「門<月」を使い分けており、以下では、「門<月」を用いています。
・※[#「門<月」、76−下−12]窗枕帙夢江南  ※[#「門<月」、76−下−12]窓帙を枕として江南を夢む。
・※[#「門<月」、77−上−5]居空戀人  ※[#「門<月」、77−上−5]居して空しく人を恋ふ。
・閑客※[#「門<月」、85−下−15]尋遂志軒  閑客※[#「門<月」、85−下−15]に尋ぬ遂志軒、
・※[#「門<月」、87−下−16]拂緑絨埃  しづかに緑絨の埃を払ふ。
・共吾等樂晩年之※[#「門<月」、90−下8]適也、
・※[#「門<月」、93−下−1]尋古佛祠」  ※[#「門<月」、93−下−1]《カン》に古仏の祠《ほこら》を尋ぬ。
※底本では、短歌に改行なしで続く括弧書きは、折り返し以降が1字下げになっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※〔〕書きされた部分は編集部が付したものです。本文内の〔〕は編集部の追加及び脱字を補ったもの、注記された〔〕は誤りを正したものです。
入力:はまなかひとし
校正:林 幸雄
2008年10月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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