く満ち、
且留悴竹姿 且《しば》らく留む悴竹の姿。
不辭蒙霜雪 霜雪を蒙るを辞せず、
信風兩三枝」 風に信《まか》す両三枝。
悠悠遲暮意 悠々たり遅暮の意、
無悔半生癡 悔ゆるなし半生の痴。
眞箇樂天叟 真箇楽天の叟、
舍予復有誰 予《われ》を舎《お》いて復た誰か有る。
[#地から1字上げ]七月九日定稿
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途上所見
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夕陽將欲沒 夕陽将に没せんとして、
紅染紫霄時 紅、紫霄を染むる時、
弄色西山好 色を弄して西山好し、
乾坤露玉肌 乾坤玉肌を露《あら》はす。
[#地から1字上げ]七月十日
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世事無知
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生民救死不遑時 生民死を救うて遑あらざる時、
何意悠悠獨賦詩 何の意ぞ悠々独り詩を賦せる。
休怪衰翁六十四 怪むを休めよ衰翁六十四、
耳聾世事久無知 耳聾して世事久しく知る無し。
[#地から1字上げ]七月十五日
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明月
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大空に星一つなく月まろし酒のまぬ身もたかどのを恋ふ
まんまるな月のあまりに近ければたかどのに来てきだはしをよづ
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老い去つて漸く寒暑を厭ふ
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あつき日は秋をまちわびさむき日は春をこひつつ老いゆく身となり[#地から1字上げ]七月二十九日
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詩集『一点鐘』に題す
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近き頃世に出でし
人の詩集を買ひ来て読む
手すりの和紙に木目のこり
活字の墨も匂ふばかりぞ
短詩四十余章
余白ゆたかに占め得て
庭ひろき深院に
なごみて貴人の住めるに似たり
そねみにかよふ心ありて
いねがての夏の夜の
はかなしや夢のとだへに
詩人《うたびと》ならぬ身をこそ恨め
[#地から1字上げ]八月九日
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菲才をなげく
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心願すでにことごとく満ちてと
みづからは詩《シ》にも書きつれ
ただ一つのみ願ひ遂げ得で
いつしかにわれ世をし去るらむ
あやしくもたへなりいにし世の詩《うた》はも
そねみに似たる心ありて
蕭条たるこの垂老の秋の日に
ひとりわれ
骨を撫でつつ菲才をなげかふ
[#地から1字上げ]八月十三日定
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中秋
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平生最所愛 平生最も愛するところ
迢迢雲外鐘 迢々たる雲外の鐘
一日聾一日 一日は一日より聾し
清音又難逢 清音又た逢ひ難し
今夜天如洗 今夜《こよひ》天洗ふが如く
風露秋意濃 風露秋意濃し
仰月臥南※[#「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1−87−69] 月を仰いで南※[#「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1−87−69]《ナンイウ》に臥し
一牀聽砌蛩 一牀砌蛩を聴く
[#地から1字上げ]九月二十五日
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殺人犯人
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私が小菅刑務所に居た頃、私の監房がそれに属してゐた独居監房一翼の雑役夫をしてゐた受刑者は、癲癇もちの吃で、再犯の殺人犯人であつた。それが再びこの娑婆に出て居る筈はないのだが、今日銭湯で湯舟にはいらうとする途端に、その男がずんぶり湯につかつて居るのを見て、私はほんとにびつくりした。もちろん人違ひだつたのだが
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ともに居し殺人犯人にふと出会ひ人違ひかと湯舟にはいる
ゆくりかに殺人犯人の顔を見て人違ひなるに胸をなでけり[#地から1字上げ]九月二十七日
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漸く無為にして過ごす日あり
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いつしかにおいにけらしなふみもみであきのひとひをつくねんとしてをり[#地から1字上げ]九月二十七日
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菅原昌人君、余に勧むるに斎藤茂吉の歌を読むべきを以てす。よりて知人光田氏より次ぎ次ぎに茂吉歌集を借り来りて読む。従来食はず嫌ひにて斎藤氏の歌は見向きもせざりし余、これにより初めて短歌の興味を感じ、爾来日々歌をよむに至れり。しかし斎藤氏の歌にて、思想的内容ある、時事を詠じたるものは、殆ど残らず、依然として甚だ好まず
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うつくしと思ふ歌ありへど吐かむ歌もまたあり茂吉の歌集[#地から1字上げ]十月十日
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ひとりゐ
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留守居して林檎をむきて食ひけるに思ひつきてまた包丁《はうちやう》をとぐ
ひとりゐのものにあきたるゆふぐれを障子にとまる秋の蠅うつ
真白なるダリヤを活けてひとりゐの秋の夕日を窓ごしに見る
ややさむのそらはくもれりかめに活けし大輪のダリヤ白く浮びつ
ひとりゐてオートミールを煮てたうぶ上海の吾子《あこ》おくりし品はも
ややさむのかはたれどきをほのぼのと街《まち》わたりくるふる
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