わがいのち太古の民の安けさにかも似る
いとけなき頃ゆ人にまさりて脈多し身のさが半ばここに負へるか
如何なれば生きのたづきにふけれるや人のいのちは短きものを
夕日てる雲見つつあれば今も尚ほひとやの窓の空おもはしむ
夕日てる雲見つつあれば海見ざる久《ひさ》になりぬと此の十年《ととせ》を思ふ
うたてしや思ひあがれる人のさまひとときわれもかくてありけむ
客ありて便所よごして帰りしを掃除してゐる妻を見てをり
老いさきのはや短かかる我なればよき思ひ出こそ妻にのこさな
筆とりてあらでは生きて行けぬかと妻さへ我を怪む日のあり[#地から1字上げ]以上、十月十日より十七日に至る

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途上所見
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立ちどまり何をするぞと見てあれば放屁一つして去りゆくおうな
ふち赤き茶寮の旗のひるがへりあまざけひさぐ頃ともなりぬ[#地から1字上げ]十月十日

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わがねがひ
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老い去りて
美しき家を好まず
美しきおみなごを見むと欲《ほ》りせず
ただ美しき詩《し》を
われ朗々として誦するに足る
美しき文《ぶん》を見むことを願ふ
[#地から1字上げ]十月十四日

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草稿「八十四歳の放翁」に題す
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古き言葉をさぐりつつ
遠きこころを知らむとす
すでに老いにし身なればか
新たなる詩は愛《め》でがたし
[#地から1字上げ]十月十四日

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風のまにまに
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詩を読みをればおのづから詩は成り
歌見つつあればおのづから歌生まる
風のまにまに
興のまにまに
きそまたけふ
[#地から1字上げ]十月十五日

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洛東如意ヶ岳を望む
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老眼重ねて対す如意ヶ岳
或るどんたくの午後の散歩に
衣《ころも》をはらひ杖をふりて
おどろ分けつつわれ近江路に
越えゆきし日は尚ほ若かりしも
人は老い易く山川老いず
ああまなかひの如意ヶ岳
    反歌
膝をいだきわれの居むかふ如意ヶ岳たをりの松のはるけくも見ゆ
行く雲は若うしてわれの越えにける山のたをりを今越ゆる見ゆ[#地から1字上げ]十月十六日

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雲二題
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きそのよは崑崙山をかけ立ちてけさ雨ふらすこの大八洲《おほやしま》
北洋の
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