、日本国民が之を機会に、老子の謂はゆる小国寡民の意義の極めて深きを悟るに至れば、今後の日本人は従前に比べ却て遙に仕合せになるものと信じてゐる。元来、外、他民族に向つて暴力武力を用ふる国家は、内、国民(被支配階級)に対してもまた暴力的武力的圧制をなすを常とする。他国を侵略することにより主として利益するものは、少数の支配階級権力階級に止まり、それ以外の一般民衆は、たか/″\そのおこぼれに霑《うるほ》ふに過ぎず、しかも年百年中、圧制政治の下に窒息してゐなければならぬ。それは決して幸福なものではありえないのだ。今や日本は、敗戦の結果、武力的侵略主義を抛棄することを余儀なくされて来たが、それと同時に、早くも国民の自由は、見る/\うちに伸張されんとしてゐる。有り難いことなのだ。もしそれ更に一歩を進め、こゝ二、三年のうちに国を挙げてソヴエット組織にでも移ることが出来たなら、それから四、五年の内には、戦前の生活水準を回復することが出来、その後はまた非常な速度を以て民衆の福祉は向上の一路を辿ることともならう。
私はそれについて、今ではソヴエット聯邦の一部となつてゐるコーカサスを思ひ浮べる。このコーカサ
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