といつても、私は西洋から来たダリヤなど、余り派手なものは好まない。百日草、桔梗、芍薬、牡丹、けし、さうした昔から日本にある種類のものが好ましい。さうはいふものの、今の私にとつては、死んでしまふまで、たとひどんな小さな庵にしろ、自分の好みに従つて経営し得るやうな望みは絶対にない。たゞ放翁の文など読んでゐると、つい羨ましくなつて、はかなき空想をそれからそれへと逞くするだけのことである。
 放翁の東籬は羨ましい。だが、老子の小国寡民はまたこれにも増して羨ましく思はれる。
 大国衆民、富国強兵を目標に、軍国主義、侵略主義一点張りで進んで来た我が日本は、大博打の戦争を始めて一敗地にまみれ、明九月二日には、米国、英国、ソヴエット聯邦、中華民国等々の聯合国に対し無条件降伏の条約を結ばうとしてゐる。誰も彼も口惜しい、くやしい、残念だと云つて、悲んだり憤つたりしてゐる最中だが、元来敗戦主義者である私は大喜びに喜んだ。これまでの国家と云ふのは、国民の大多数を抑圧するための、少数の権力階級の弾圧機構に過ぎない。戦争に負けてその弾圧機構が崩壊し去る端を開けば、大衆にとつてこれくらゐ仕合せなことはないのだ。私は
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