せしめば、蓋し真に以て此を致すに足らむ。於※[#「虍/乎」、第4水準2−87−26]《ああ》、吾が東籬、又た小国寡民の細なる者か。開禧元年四月乙卯誌す。」
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 私はこの一文を読んで、放翁の晩年における清福を羨むの情に耐へない。
 私は元から宏荘な邸宅や華美な居室を好まないが、殊に晩年隠居するに至つてからは、頻りに小さな室が二つか三つかあるに過ぎない庵のやうな家に住みたいものと、空想し続けてゐる。頼山陽が日本外史を書いた山紫水明楼は、四畳と二畳との二間から成つてゐたものだと云ふが、今私は、書斎と寝室を兼ねるのなら、四畳半か三畳で結構だし、書斎だけなら三畳か二畳で結構だと思つてゐる。その代り私は家の周囲になるべく多くの空地を残しておきたい。広々とした土地を取囲んだ屋敷の一隅に小さな住宅の建つてゐるのが好ましい。残念なことに、京都には、借りようと思つても、そんな家は殆どない。
 京都人はどういふものか、せゝつこましい中庭を好んでゐる。郊外の相当広い所でも京都人が家を設計するとなると、座敷と座敷とに挾まれた中庭を作つて、その狭い所へ、こて/\と沢山の石を運んで来て、山を
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