の類)若干と草の品若干を雑へ植う。之を名づけて東籬と曰ふ。放翁日に其間に婆娑(歩き廻はること)、其の香を※[#「綴」の「糸」に代えて「手へん」、341−6]《と》り以つて臭ぎ、其の穎《ほさき》を※[#「手へん+頡」、第3水準1−85−4]《つ》み以て玩ぶ。朝には灌ぎ莫には※[#「金+且」、第3水準1−93−12]《たがや》す。凡そ一甲|拆《たく》(草木の新芽を包める薄き皮の開くこと)一敷栄(花のしげり咲くこと)、童子皆な来り報じて惟だ謹む。放翁是に於て本草を考へ、以て其の性質を見、離騒を探り、以て其の族類を得、之を詩爾雅及び毛氏郭氏の伝に本づけ、以て其の比興を観、其の訓詁を窮め、又下つては博く漢魏晋唐以来を取り、一篇一詠も遺す者なく、古今体制の変革を反覆研究す。間《まま》亦吟諷して長謡、短草、楚詞、唐律を為り、風月煙雨の態度に酬答す。蓋し独り身目を娯み、暇日を遣るのみにあらず。昔は老子書を著はし末章に曰ふ『小国寡民、其の食を甘しとし、其の服を美しとし、其の居に安んじ、其の俗を楽む。隣国相望みて、鶏犬の声相聞ゆるも、民、老死に至るまで相往来せず。』と。其の意深し矣。老子をして一邑一聚を得
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