何遍か同氏を訪問しているが、不思議なほどいつも不在であり、この時も亦た不在であった。ところがその後夫人から手紙が来て、立つ時が決まったら知らしてくれ、送別の宴を張ると云えばよろしいが、それは出来ないので、お餞別《せんべつ》を上げるつもりだから、とのことであった。そして今居る女中は京都へ連れて行くつもりなのか、もしそうでなければ、こちらへ譲って呉れまいか、などと書いてあった。私は、立つなら物をやるから時日を知らせ、などという手紙の書き方を、不快に感じないわけに行かなかったが、しかし愈々《いよいよ》立とうという時にその事を知らせた。すると、丁度運送屋が来ていて混雑している最中に、青楓氏が玄関先きまで来られて、家内が食事を上げたいと云うから今晩二人で来てくれないか、との話があったが、取込んでいる最中そんなことは到底不可能だから断ると、それではと云うことで、玄関先きで別れてしまった。私は到底再び東京などへ遣って来られる人間ではなし、これで最早や一生の別れになるかも知れないと思ったが、同氏との多年にわたる交友の最後は、遂に斯様《かよう》な切れ目を見せたのてある。餞別をやるとのことであったが、――
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