時、私はひどく躊躇《ちゅうちょ》したものだが、幼稚園の子供のような気持になって、恐る恐る筆を執ったのが皮切りで、その後次第に大胆になり、青楓氏と河田博士と私とで山水の合作を描き、狩野博士がそれへ賛を入れたりなどされたこともある。河田博士は絵専門、狩野博士は書専門、私は絵と書の双方をやった。集っていた人の組合せが好かったせいか、手持無沙汰で退屈するような人は一人もなく、誰かが大字でも書くと硯《すずり》の墨はすぐ無くなるので、あかまんやの女将までが、墨磨りだけにでも一人前の役割を有《も》っていた。当時私は経済学の研究に夢中になっていた時代なので、月に一回のこうした清遊は、実に沙漠の中のオアシスであり、忙中の閑日月であって、この上もなく楽しいものに思えた。それは私が一生のうちに見た美しい夢の一つである。
 後年|囹圄《れいご》の身となるに及び、私は獄窓の下で屡々《しばしば》この昔日の清夢を想い起した。幸に生命があって再び家に帰ることがあったならば、今度こそは一切の世縁を抛《なげう》たねばならぬ身の上であるから、ゆったりした気持で時折青楓氏の書房を訪い、たとい昔のような集りは出来なくとも、青楓
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