和近來欲睡[#「睡」に白三角傍点]兼難睡[#「睡」に白三角傍点]夜夜夜[#「夜夜夜」に白丸傍点]深聞子規
(一たび杜陵に別れて帰ること未だ期なく、祇《た》だ魂夢に憑りて親和に接す。近来睡らんとするも兼て睡り難く、夜々夜深けて子規を聞く。)
曉登迎春閣 劉象
未櫛憑欄眺錦城煙籠萬井二江明香風滿[#「滿」に白三角傍点]閣花滿[#「滿」に白三角傍点]樹樹樹樹[#「樹樹樹樹」に白丸傍点]梢啼曉鶯
(未だ櫛らず欄に憑りて錦城を眺めば、煙は万井を籠めて二江明かなり。香風閣に満ち花は樹に満ち、樹々樹梢に暁鶯啼く。)
[#ここで字下げ終わり]
私は以上の三首、いづれも甚だ好まない。殊に第二首は甚だ嫌である。次に掲げる方秋崖以下のものも、私はみな好まない。
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梅花 方秋崖
有梅[#「梅」に白三角傍点]無雪[#「雪」に白丸傍点]不精神有雪[#「雪」に白丸傍点]無詩[#「詩」に白三角傍点]俗了人薄暮詩[#「詩」に白三角傍点]成天又雪[#「雪」に白丸傍点]與梅[#「梅」に白三角傍点]併作十分春(雪字三、梅、詩、有、無の四字は各※[#二の字点、1−2−22]二)
(梅あるも雪なくんば精神ならず、雪あるも詩なくんば人を俗了す。薄暮詩成りて天又た雪ふり、梅と併せて十分の春を作《な》す。)
野外 蔡節齋
松[#「松」に白丸傍点]裏安亭松[#「松」に白丸傍点]作門看書松[#「松」に白丸傍点]下坐松[#「松」に白丸傍点]根閑來又倚松[#「松」に白丸傍点]陰睡淅瀝松[#「松」に白丸傍点]聲繞夢魂(松字六)
(松裏に亭を安んじ松を門と作《な》し、書を松下に看て松根に坐す。閑来又た松陰に倚りて睡れば、淅瀝たる松声夢魂を繞る。)
吉祥探花 蔡君謨
花[#「花」に白丸傍点]未[#「未」に白三角傍点]全開月[#「月」に白丸傍点]未[#「未」に白三角傍点]圓看花[#「花」に白丸傍点]待月[#「月」に白丸傍点]思依然明知花月[#「花月」に白丸傍点]無情[#「情」に白三角傍点]物若使多情[#「情」に白三角傍点]更可憐(花、月の二字は各※[#二の字点、1−2−22]三、未、情の二字は各※[#二の字点、1−2−22]二)
(花未だ全開せず月未だ円かならず、花を看、月を待つの思ひ依然。明かに知る花月は無情の物なるを、若し多情ならしめば更に可憐ならん。)
凭欄 蒙齋
幾度凭欄約夜深夜深[#「夜深夜深」に白丸傍点]情緒不如今如今[#「如今如今」に白丸傍点]強倚闌干立月滿[#「滿」に白三角傍点]空階霜滿[#「滿」に白三角傍点]林(夜、深、如、今、滿の五字各※[#二の字点、1−2−22]重出)
(幾度か欄に凭りて夜深を約す、夜深うして情緒今に如かず、如今強ひて闌干に倚りて立てば、月は空階に満ち霜は林に満つ。)
[#ここで字下げ終わり]
どの詩もどの詩も俗で、詩といふほどのものになつて居ない。
[#ここから3字下げ]
賀蘭溪上幾[#「幾」に白丸傍点]株松南北東西有幾[#「幾」に白丸傍点]峯買得住來今幾[#「幾」に白丸傍点]日尋常誰與坐從容
(賀蘭渓上幾株の松、南北東西幾峰か有る、買ひ得て住し来たる今幾日、尋常誰と与にか坐して從容。)
[#ここで字下げ終わり]
これは王安石の詩、三たび幾字を重用して不思議に目立たない。
○
無責任なる漢詩訳解の一例。続国訳漢文大成、蘇東坡詩集、巻四、三〇八―九頁、註釈者、釈清潭。
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「書[#二]李世南所[#レ]畫秋景[#一]
野水參差落漲痕 野水参差として漲痕落つ、
疎林※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]倒出霜根 疎林※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]倒して霜根出づ、
扁舟一櫂歸何處 扁舟一櫂何の処に帰る、
家在江南黄葉邨 家は江南黄葉の邨に在り、
[詩意]野水は東西南北参差として、何《いづれ》も漲痕が落ちてある、其の上の疎林は※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]倒の形を為して霜根を露出する、扁舟は舟人一櫂して何《いづれ》の処に帰るやを知らず、察するに江南黄葉邨に帰るのであらう、其の方向に舟は進みつつある、
[字解](一)参差 不斉の貌、詩経に参差※[#「くさかんむり/行」、第3水準1−90−82]菜とある、(二)一櫂 一棹に作る本あり、」
[#ここで字下げ終わり]
これなどは巻中まだましな方であるが、有名な詩だから先づ之を見本に写し出して見た。詩意として書き付けてある文章は、中学生の答案としても恐らく落第点であらう。文章のよしあしは別として、「漲痕」とは何のことか、「漲痕が落ちてある」とはどういふ意味か、「疎林が※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]倒の形を為す」とは何のことか、「舟人が一櫂する」とはどんな事をするのか、これでは総て解釈になつて居ない。こんな日本文が分かるやうなら、何も国訳本を必要としないであらう。不親切な註釈もあつたものだ。
長い詩は写し取るのが面倒だから、絶句だけについて、も少し見本を並べて見よう。
[#ここから3字下げ]
「與[#二]王郎[#一]夜飮[#二]井水[#一]
呉興六月水泉温 呉興六月水泉温なり、
千頃菰蒲聚※[#「鬥<((卯/亞の下半分)+斤)」、第3水準1−94−31]蚊 千頃の菰蒲※[#「鬥<((卯/亞の下半分)+斤)」、第3水準1−94−31]蚊を聚む、
此井獨能深一丈 此の井独り能く深きこと一丈、
源龍如我亦如君 源竜我の如く亦君の如し、
[詩意]呉興の六月は水泉温かである、千頃の菰蒲に※[#「鬥<((卯/亞の下半分)+斤)」、第3水準1−94−31]蚊が集る、此の井は独り深きこと一丈、源竜我の如く亦君の如くである、」
[#ここで字下げ終わり]
これだけの説明でこの詩の意味が分かるつもりなのであらうか。そもそも筆者自身がこの詩を理解し得たのであらうか。――今一つ。
[#ここから3字下げ]
「南堂五首(其五)
掃地焚香閉閣眠 地を掃ひ香を焚き閣を閉ぢて眠る、
簟紋如水帳如煙 簟紋水の如く帳は煙の如し、
客來夢覺知何處 客来りて夢覚め知る何れの処ぞ、
挂起西窗浪接天 挂起すれば西窓浪天に接す、
[詩意]地を掃ひ香を焚き閣を閉ぢて眠る、簟紋は冷水の如くにて帳帷は煙の如くである、客来の声を聞いて夢より覚めて客は何処ぞと云うて、挂起すれば西窓の外は浪が天に接する勢である、
[字解](一)簟紋 夏日に敷いて坐する具、(二)帳如煙 太白の詩、碧紗如[#レ]煙隔[#レ]窓語と、李義山の詩、水紋簟滑鋪[#二]牙牀[#一]と、」
[#ここで字下げ終わり]
世間に名の知れた漢詩人でありながら、平気でこんなことを書き並べて居るのは、不思議に感じられる。
○
漢詩を日本読みにするのは、簡単なことのやうで、実は読む人の当面の詩に対する理解の程度や、その人の日本文に対する神経の鋭鈍などによつて左右され、自然、同じ詩でも人によつて読み方が違ふ。
日本人の作る漢詩は之を日本読みにする場合の調子に重きを置くべきであると考へてゐる私は、(この種の考については、いづれ項を別にして述べる、)総じて漢詩の日本流の読み方について色々な注文を有つ。次に思ひ付くままを少し述べて見よう。
漆山又四郎訳註の唐詩選(岩波文庫本)には、李白の越中懐古を、次の如く読ませてある。
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越王勾踐破呉歸 越王勾践 呉を破りて帰る
義士還家盡錦衣 義士家に還りて尽く錦衣なり[#「なり」に白丸傍点]。
宮女如花滿春殿 宮女は[#「は」に白丸傍点]花の如く春《はる》殿《デン》に満つ[#「満つ」に白丸傍点]
只今惟有鷓鴣飛 只今惟鷓鴣の飛ぶ有るのみ[#「有るのみ」に白丸傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
私はかうした句読の切り方にも賛成せず、それに何よりも全体の調子がひどく拙いと思ふ。「義士家に還りて尽く錦衣なり[#「なり」に白丸傍点]、」私はこんな文章を好まない。「宮女は[#「は」に白丸傍点]花の如く云々、」何故、前の句では「義士は」と読まずに、この句だけ「宮女は」と読ませたのであらう。「錦衣なり」「春殿に満つ」と現在に読むのもいけない。また春《はる》殿《デン》に満つは間違であらう。ここの春《はる》殿《デン》は、論語に「暮春には春服既に成り云々」とある場合などと同じく、春は殿の形容詞である。春満殿となつて居るのではないから、強ひて満春殿を「春殿《はるデン》に満つ」などと読ます必要は絶対にない。「惟鷓鴣の飛ぶ有るのみ[#「のみ」に白丸傍点]」も、私はその調子を好まない。私は全体の詩を次のやうに読む。
[#ここから3字下げ]
越王勾践、呉を破りて帰るや、
義士家に還りて尽く錦衣、
宮女花の如く春殿《シュンデン》に満ちしかど、
只今惟だ鷓鴣の飛ぶ有り。
[#ここで字下げ終わり]
平野秀吉著唐詩選全釈および簡野道明著唐詩選詳説には、第二句を「義士家に還りて尽く錦衣す」と読ましてあるが、ここは普通の場合と違ひ、呼吸が第二句から第三句へ一気に続いて居るのだから、錦衣なりとか錦衣すと云ふやうな悪調子を避け、ただ錦衣と名詞のままで打ち留め、更に第三句を「春殿に満ちしかど」と過去形に読ませ、その過去形へ第二句をも持たせ掛くべきであり、かくして始めて全体の詩の意味が日本文として通じ易くなり、調子もその方が却て好くなるのである。
○
同じく唐詩選にある李商隠の夜雨寄北と題する詩は、岩波文庫本では次のやうに読ませてあるが、私はこの読み方にも服しかねる。
[#ここから3字下げ]
君問歸期未有期 君に[#「に」に白丸傍点]に帰期を問ふに[#「問ふに」に白丸傍点]未だ期あらず
巴山夜雨漲秋池 巴山の夜雨秋池に漲る。
何當共翦西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]燭 何《いつ》か当に共に西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]の燭を剪り
卻話巴山夜雨時 却つて巴山夜雨の時を話《かた》るべきか[#「か」に白丸傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
私は嘗て未決監に居た時この詩を読んで、実にいい詩だと感じたことがある。しかし私は起句を「君に[#「に」に白丸傍点]帰期を問ふに[#「問ふに」に白丸傍点]」などと読まず、「君は[#「は」に白丸傍点]帰期を問へども[#「問へども」に白丸傍点]」と読む。文庫本には、「北は北地に在る者の意、君は北地に在る者を指す」と註してあるが、それはそれに相違ないけれども、私はもつと具体的に、ここの君は細君のことだと解する。北は長安を指すものに相違ない。当時作者は任に巴蜀の地に赴き、細君は長安に留守居してゐたのであり、その細君から、いつ頃帰るかといふ、夫の帰りを待ち侘びた手紙が来たのである。それに対して「君は帰期を問へども未だ期あらず」と云つたので、それを「君に帰期を問ふに未だ期あらず」などと読んでは、全く駄目になる。原文も君問となつてをり、問君としてあるのではないから、何も強ひて君に問ふと読む必要はないのである。
「君は帰期を問へども未だ期あらず。」私は未決監でこの句を読んで、実に身に染む思ひがした。未だ期あらずと云ふことは、実にあはれ深いことなのである。
ところで、細君からの手紙を見て、そぞろにあはれを感じた時は、丁度秋の夜で、しかも雨がしとしとと降つて居たのである。※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]を開けば巴山は雨に隠れ、軒前の池には盛んに水が溢れてゐる。作者は此の景に対し此の時の情を実に忘れ難きものに感じた。そこで何当共剪西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]燭却話巴山夜雨時と詠じたのであり、かく解してこそ、これらの句が実に生き生きとしたものになつて来るのである。私は
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