ーを捕手などと云つて見たところで、やはり漢字を当てはめてみなければ意味は通じないのである。
 漢字が長い年数をかけてこんなにまで日本人の生活に喰ひ入つたことの好し悪しは、別問題である。それは日本の言語の発達のため、あるひは不幸な出来事であつたのかも知れない。しかし日本人が善かれ悪かれかうした漢字を日用の文字として用ひてゐる限りは、その漢字を五字づつ並べたり七字づつ並べたりして、謂はゆる漢詩なるものを作るのは、放庵の言ふやうに何にもならぬ話ではない。ただ吾々は、それが日本の詩であることを自覚して、支那人の作詩法とは違つた独自の法則を、自律的に工夫する必要があるだけのことである。
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(追記)「夜半の鐘声」については、別に『陸放翁鑑賞』の中で悉しく書いておいた。ただそこでは王漁洋の次の詩のことを書き漏らしたと思ふから、ここに之を書き写しておく。
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日暮東塘正落潮、孤篷泊處雨蕭蕭、疎鐘夜火寒山寺、記過呉楓第幾橋、楓葉蕭條水驛空、離居千里恨難囘、十年舊約江南夢、獨聽寒山夜半鐘
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王漁洋も寒山寺の夜半の鐘声を聞いたのである。
[#こ
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