○
同じく唐詩選にある李商隠の夜雨寄北と題する詩は、岩波文庫本では次のやうに読ませてあるが、私はこの読み方にも服しかねる。
[#ここから3字下げ]
君問歸期未有期 君に[#「に」に白丸傍点]に帰期を問ふに[#「問ふに」に白丸傍点]未だ期あらず
巴山夜雨漲秋池 巴山の夜雨秋池に漲る。
何當共翦西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]燭 何《いつ》か当に共に西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]の燭を剪り
卻話巴山夜雨時 却つて巴山夜雨の時を話《かた》るべきか[#「か」に白丸傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
私は嘗て未決監に居た時この詩を読んで、実にいい詩だと感じたことがある。しかし私は起句を「君に[#「に」に白丸傍点]帰期を問ふに[#「問ふに」に白丸傍点]」などと読まず、「君は[#「は」に白丸傍点]帰期を問へども[#「問へども」に白丸傍点]」と読む。文庫本には、「北は北地に在る者の意、君は北地に在る者を指す」と註してあるが、それはそれに相違ないけれども、私はもつと具体的に、ここの君は細君のことだと解する。北は長安を指すものに相違ない。当時作者は任に巴蜀の地に赴き、細君は長安に留守居してゐたのであり、その細君から、いつ頃帰るかといふ、夫の帰りを待ち侘びた手紙が来たのである。それに対して「君は帰期を問へども未だ期あらず」と云つたので、それを「君に帰期を問ふに未だ期あらず」などと読んでは、全く駄目になる。原文も君問となつてをり、問君としてあるのではないから、何も強ひて君に問ふと読む必要はないのである。
「君は帰期を問へども未だ期あらず。」私は未決監でこの句を読んで、実に身に染む思ひがした。未だ期あらずと云ふことは、実にあはれ深いことなのである。
ところで、細君からの手紙を見て、そぞろにあはれを感じた時は、丁度秋の夜で、しかも雨がしとしとと降つて居たのである。※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]を開けば巴山は雨に隠れ、軒前の池には盛んに水が溢れてゐる。作者は此の景に対し此の時の情を実に忘れ難きものに感じた。そこで何当共剪西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]燭却話巴山夜雨時と詠じたのであり、かく解してこそ、これらの句が実に生き生きとしたものになつて来るのである。私は
前へ
次へ
全22ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング