今度はおとなしい伊藤《いとう》が手を挙げながらいいました。
「よろしい、その通り」
僕は伊藤はやはりよく出来るのだなと感心しました。
おや、僕の帽子はどうしたろうと、今まで先生の手にある銅貨にばかり気を取られていた僕は、不意に気がつくと、大急ぎでそこらを見廻わしました。どこで見失ったか、そこいらに帽子はいませんでした。
僕は慌《あわ》てて教室を飛び出しました。広い野原に来ていました。どっちを見ても短い草ばかり生えた広い野です。真暗《まっくら》に曇った空に僕の帽子が黒い月のように高くぶら下がっています。とても手も何も届きはしません。飛行機に乗って追いかけてもそこまでは行《ゆ》けそうにありません。僕は声も出なくなって恨《うら》めしくそれを見つめながら地《じ》だんだを踏むばかりでした。けれどもいくら地だんだを踏んで睨《にら》みつけても、帽子の方は平気な顔をして、そっぽを向いているばかりです。こっちから何かいいかけても返事もしてやらないぞというような意地悪《いじわる》な顔をしています。おとうさんに、帽子が逃げ出して天に登って真黒《まっくろ》なお月様になりましたといったところが、とても信じ
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