に誇大せられた表現に親しみ慣れる。而してその表現が自然の再現であるかの如く感じ始められる。かくて巧妙なる画の花は自然の花の如く美しく鑑賞されるに至るのだ。
この時に当つて画家はいふ「自然の美は極まりない。その美を悉く現はすことは人間に取つて、天才に取つてさへ不可能である」と。いふ心は、私達が普通に考へてゐるそのやうにあるのではないのだ。その画家の言葉を聞いた私達は恐らくかう考へてはゐないか。自然の有する色彩は、如何に精緻に製造された絵具の中にも発見され得ない。又その絵具の如何なる配列の中にも発見され得ない。又如何なる天才の徹視の下にも端倪され得ない。それだから自然の持つ色彩は、常に絵画の持つ色彩よりも極りなく麗はしいと。
私は考へる。その言葉を吐いた画家自身はさう考へていつたのではないにしても、私はかう考へる。画家のその言葉は普通に考へられてゐる、前のやうな意味に於てゞはなくいはれたのだ。自然の美は極りないといつた時、画家は既に誇大して眺められた自然について云つてゐるのだ。彼れの言葉の以前に、画家の誇大された色感が既に自然に投入されてゐたのだ。誇大された絵具の色彩によつて義眼された
前へ
次へ
全11ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング