る蛮人に過ぎないであらう。彼れには描くべき自然は何所にもあり得ないだらう。自然はそれ自らにしてユニークだから。而して勿論ユニークなものは一つ以上あることが許されないから。
 だから一個の蛮人が画家となるためには、自然を誇大することから始めねばならぬ。彼れは擅まに自然を切断する。自然を抄略する――抄略も亦誇大を成就する一つの手段だ――。自然を強調する。蛮人が画家となつて、一つの風景を色彩に於て表現しようとすると仮定しようか。彼れは先づ自然に存する色彩の無限の階段的配列を切断して、強い色彩のみを継ぎ合すだらう。又色彩を強く表はす為めに、その隣りにある似寄りの色彩を抄略するだらう。又自然に存する各の色を、それに類似した更らに強い色彩によつて強調するだらう。かくの如くして一つの風景画は始めて成立つのだ。それは明らかに自然の再現ではない。自然は再現され得ない。それは自然の誇大だ。その仲間の一人によつて製作された絵画を見た蛮人は、恐らくその一人が発狂したと思つたであらう。何故ならば、それは彼等が素朴に眺めてゐる自然とは余り遠くかけ隔つてゐるから。
 然しながら、本然に人間が持つてゐる誇大性は、直ち
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング