てんとう》しているらしかった。泣きだす前のようなその子供の顔、……こうした suspense の状態が物の三十秒も続けられたろうか。
けれども子供の力はとても扉の重みに打ち勝てるようなものではなかった。ああしているとやがておお事になると彼は思わずにはいられなくなった。単なる好奇心が少しぐらつきだして、後戻《あともど》りしてその子供のために扉をしめる手伝いをしてやろうかとふと思ってみたが、あすこまで行くうちには牛乳瓶がもうごろごろと転げ出しているだろう。その音を聞きつけて、往来の子供たちはもとより、向こう三軒両隣の窓の中から人々が顔を突き出して何事が起こったかとこっちを見る時、あの子供と二人で皆んなの好奇的な眼でなぶられるのもありがたい役廻りではないと気づかったりして、思ったとおりを実行に移すにはまだ距離のある考えようをしていたが、その時分には扉はもう遠慮会釈もなく三、四寸がた開いてしまっていた。と思う間もなく牛乳のガラス瓶があとからあとから生き物のように隙《すきま》を眼がけてころげ出しはじめた。それが地面に響きを立てて落ちると、落ちた上に落ちて来るほかの瓶がまたからんからんと音を立てて、破れたり、はじけたり、転がったりした。子供は……それまでは自分の力にある自信を持って努力していたように見えていたが……こういうはめになるとかっとあわて始めて、突っ張っていた手にひときわ力をこめるために、体を前の方に持って行こうとした。しかしそれが失敗の因《もと》だった。そんなことをやったおかげで子供の姿勢はみじめにも崩《くず》れて、扉はたちまち半分がた開いてしまった。牛乳瓶はここを先途《せんど》とこぼれ出た。そして子供の胸から下をめった打ちに打っては地面に落ちた。子供の上前《うわまえ》にも地面にも白い液体が流れ拡《ひろ》がった。
こうなると彼の心持ちはまた変わっていた。子供の無援《むえん》な立場を憐《あわれ》んでやる心もいつの間にか消え失せて、牛乳瓶ががらりがらりととめどなく滝のように流れ落ちるのをただおもしろいものに眺めやった。実際そこに惹起《じゃっき》された運動といい、音響といい、ある悪魔的な痛快さを持っていた。破壊ということに対して人間の抱いている奇怪な興味。小さいながらその光景は、そうした興味をそそり立てるだけの力を持っていた。もっと激しく、ありったけの瓶が一度に地面に散
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