用は事務費で仕払ったのか……俺《わ》しのほうの支払いになっているのか」
「事務費のほうに計上しましたが……」
「矢部に断わったか」
 監督は別に断わりはしなかった旨を答えた。父はそれには別に何も言わなかったが、黙ったまま鋭く眼を光らした。それから食膳の豊かすぎることを内儀《おかみ》さんに注意し、山に来たら山の産物が何よりも甘《うま》いのだから、明日からは必ず町で買物などはしないようにと言い聞かせた。内儀さんはほとほと気息《いき》づまるように見えた。
 食事が済むと煙草を燻《くゆ》らす暇もなく、父は監督に帳簿を持って来るように命じた。監督が風呂はもちろん食事もつかっていないことを彼が注意したけれども、父はただ「うむ」と言っただけで、取り合わなかった。
 監督は一|抱《かか》えもありそうな書類をそこに持って出た。一杯機嫌になったらしい小作人たちが挨拶を残して思い思いに帰ってゆく気配が事務所の方でしていた。冷え切った山の中の秋の夜の静まり返った空気の中を、その人たちの跫音《あしおと》がだんだん遠ざかって行った。熱心に帳簿のページを繰っている父の姿を見守りながら、恐らく父には聞こえていないであ
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