う淋しさも襲ってきた。乞食《こじき》にでもなってやろう、彼はその瞬間はたとそう思ったりした。自分の本質のために父が甘んじて衣食を給してくれているとの信頼が、三十にも手のとどく自分としては虫のよすぎることだったのだと省みられた。
おそらく彼のその心の動きが父に鋭く響いたのだろう、父は今までの怒りに似げなく、自分にも思いがけないようなため息を吐いた。彼は思わず父を見上げた。父は畳一畳ほどの前をじっと見守って遠いことでも考えているようだった。
「俺《わ》しがこうして齷齪《あくせく》とこの年になるまで苦労しているのもおかしなことだが……」
父の声は改まってしんみりとひとりごとのようになった。
「今お前は理想屋だとか言ったな。それだ。俺《わ》しはこのとおりの男だ。土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺《わ》しには道楽という道楽も別段あるではなし、一家が暮らして行くのにはもったいないほどの出世をしたといってもい
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