しに父の座敷へと帰って行った。そこはもうすっかりかたづけられていて、矢部を正座に、父と監督とが鼎座《かなえざ》になって彼の来るのを待っていた。彼は押し黙ったまま自分の座についたが、部屋にはいるとともに感ぜずにはいられなかったのは、そこにただよっているなんともいえぬ気まずい空気だった。さきほどまで少しも物にこだわらないで、自由に話の舵《かじ》を引いていた矢部がいちばん小むずかしい顔になっていた。彼の来るのを待って箸《はし》を取らないのだと思ったのは間違いらしかった。
矢部は彼が部屋にはいって来るのを見ると、よけい顔色を険《けわ》しくした。そしてとうとうたまりかねたようにその眇眼《すがめ》で父をにらむようにしながら、
「せっかくのおすすめではございますが、私は矢張り御馳走にはならずに発《た》って札幌《さっぽろ》に帰るといたします。なに、あなた一晩先に帰っていませば一晩だけよけい仕事ができるというものでございますから……私は御覧のとおりの青造《あおぞう》ではございますが、幼少から商売のほうではずいぶんたたきつけられたもんで……しかし今夜ほどあらぬお疑いを被って男を下げたことは前後にございま
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