に過ぎ去っていたが、父は例の一徹からそんなことは全く眼中になかった。彼はかくばかり迫り合った空気をなごやかにするためにも、しばらくの休戦は都合のいいことだと思ったので、
「もうだいぶ晩《おそ》くなりましたから夕食にしたらどうでしょう」
 と言ってみた。それを聞くと父の怒りは火の燃えついたように顔に出た。
「馬鹿なことを言うな。この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」
 と矢部の前で激しく彼をきめつけた。興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前において、自分の股肱《ここう》を罵《ののし》る将軍が何処《どこ》にいるだろうと憤ろしかった。けれども彼は黙って下を向いてしまったばかりだった。そして彼は自分の弱い性格を心の中でもどかしく思っていた。
「いえ手前でございますならまだいただきたくはございませんから……全くこのお話は十分に御了解を願うことにしないとなんでございますから……しかし御用意ができましたのなら……」
「いやできておっても少しもかまわんのです」
 父は矢部の取りなし
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