ゅうにみなぎった。父は捨てどころに困《こう》じて口の中に啣《ふく》んでいた梅干の種を勢いよくグーズベリーの繁みに放りなげた。
監督は矢部の出迎えに出かけて留守だったが、父の膝許《ひざもと》には、もうたくさんの帳簿や書類が雑然と開きならべられてあった。
待つほどもなく矢部という人が事務所に着いた。彼ははじめてその人を見たのだった。想像していたのとはまるで違って、四十|恰好《かっこう》の肥った眇眼《すがめ》の男だった。はきはきと物慣れてはいるが、浮薄でもなく、わかるところは気持ちよくわかる質《たち》らしかった。彼と差し向かいだった時とは反対に、父はその人に対してことのほか快活だった。部屋の中の空気が昨夜とはすっかり変わってしまった。
「なあに、疲れてなんかおりません。こんなことは毎度でございますから」
朝飯をすますとこう言って、その人はすぐ身じたくにかかった。そして監督の案内で農場内を見てまわった。
「私は実はこちらを拝見するのははじめてで、帳場に任して何もさせていたもんでございますから、……もっとも報告は確実にさせていましたからけっしてお気に障《さわ》るような始末にはなっていないつ
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