れているのを現わしているようだ。この愛の本質と現象との混淆《こんこう》から、私達の理解は思いもよらぬ迷宮に迷い込むだろう。

        一六

 愛を傍観していずに、実感から潜《もぐ》りこんで、これまで認められていた観念が正しいか否かを検証して見よう。
 私は私自身を愛しているか。私は躊躇《ちゅうちょ》することなく愛していると答えることが出来る。私は他を愛しているか。これに肯定的な答えを送るためには、私は或る条件と限度とを附することを必要としなければならぬ。他が私と何等かの点で交渉を持つにあらざれば、私は他を愛することが出来ない。切実にいうと、私は己れに対してこの愛を感ずるが故にのみ、己れに交渉を持つ他を愛することが出来るのだ。私が愛すべき己れの存在を見失った時、どうして他との交渉を持ち得よう。そして交渉なき他にどうして私の愛が働き得よう。だから更に切実にいうと、他が何等かの状態に於て私の中に摂取された時にのみ、私は他を愛しているのだ。然し己れの中に摂取された他は、本当をいうともう他ではない。明かに己の一部分だ。だから私が他を愛している場合も、本質的にいえば他を愛することに於て己
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