れを愛しているのだ。そして己れをのみだ。
但《ただ》し己を愛するとは何事を示すのであろう。私は己れを愛している。そこには聊《いささ》かの虚飾もなく誇張もない。又それを傲慢《ごうまん》な云い分ともすることは出来ない。唯あるがままをあるがままに申し出たに過ぎない。然し私が私自身をいかに深くいかによく愛しているかを省察すると問題はおのずから別になる。若し私の考えるところが謬《あやま》っていないなら、これまで一般に認められていた利己主義なるものは、極《きわ》めて功利的な、物質的な、外面的な立場からのみ考察されてはいなかったろうか。即ち生物学の自己保存の原則を極めて安価に査定して、それを愛己の本能と結び付けたものではなかったろうか。「生物発達の状態を研究して見ると、利己主義は常に利他主義以上の力を以て働いている。それを認めない訳には行かない」といったスペンサーの生物一般に対しての漫然たる主張が、何といっても利己主義の理解に対する基調になっていはしないだろうか。その主張が全事実の一部をなすものだということを私も認めない訳ではない。然しそれだけで満足し切ることを、私の本能の要求は明かに拒んでいる。
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