を認めて、これを利他主義といい、己れのためにせんとする衝動若しくは本能を主張してこれを利己主義というのなら、その用語は正鵠《せいこう》を失している。それは当然愛他主義愛己主義という言葉で書き改められなければならないものだ。利と愛との両語が自明的に示すが如く、利は行為或は結果を現わす言葉で、愛は動機或は原因を現わす言葉であるからだ。この用語の錯誤が偶※[#二の字点、1−2−22]《たまたま》愛の本質と作用とに対する混同を暴露してはいないだろうか。即《すなわ》ち人は愛の作用を見て直ちにその本質を揣摩《しま》し、これに対して本質にのみ名づくべき名称を与えているのではないか。又人は愛が他に働く動向を愛他主義と呼び、己れに働く動向を利己主義と呼ぶならわしを持っている。これも偶※[#二の字点、1−2−22]人が一種の先入|僻見《へきけん》を以て愛の働き方を見ている証拠にはならないだろうか。二つの言葉の中《うち》、物質的な聯想《れんそう》の附帯する言葉を己れへの場合に用い、精神的な聯想を起す言葉を他への場合に用いているのは、恐らく愛が他を益する時その作用を完《まっと》うし得るという既定の観念に制せら
前へ 次へ
全173ページ中96ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング