に、それは決して生活の内部にあって働くままの姿では認められない。愛は生活から仮りに切り放されて、一つの固定的な現象としてのみ観察される。謂《い》わば理智が愛の周囲――それはいかに綿密であろうとも――のみを廻転し囲繞《いにょう》している。理智的にその結論が如何《いか》に周匝《しゅうそう》で正確であろうとも、それが果して本能なる愛の本体を把握し得た結論ということが出来るだろうか。
本能を把握するためには、本能をその純粋な形に於て理解するためには、本能的生活中に把握される外に道はない。体験のみがそれを可能にする。私の体験は、縦《よ》しそれが貧弱なものであろうとも――愛の本質を、与える本能として感ずることが出来ない。私の経験が私に告げるところによれば、愛は与える本能である代りに奪う本能であり、放射するエネルギーである代りに吸引するエネルギーである。
他のためにする行為を利他主義といい、己《おの》れのためにする行為を利己主義というのなら、その用語は正当である。何故ならば利するという言葉は行為を表現すべき言葉だからである。然し倫理学が定義するように、他のためにせんとする衝動|若《も》しくは本能
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