に置かれた意志は本能そのものであって、それを遮《さえぎ》る何者もないことを知ったなら、私達のいう意志の自由はそのまま肯定せられなければならぬ。
智的生活以下に於てはそういう訳には行かない。智的生活は常に外界との調節によってのみ成り立つ。外界の存在なくしてはこの生活は働くことが出来ない。外界は常に智的生活とは対立の関係にあって、しかも智的生活の所縁になっている。かくしてその生活は自由であることが出来ない。のみならず智的生活の様式は必ず過去の反省によって成り立つという事を私は前に申し出した。既になし遂げられた生活は――縦令《たとい》それが本能的生活であっても――なし遂げられた生活である。その形は復《また》と変易《へんえき》することがない。智的生活は実にこの種の固定し終った生活の認識と省察によって成り立つのである。その省察の持ち来たす概念がどうして宿命的な色彩を以《もっ》て色づけられないでいよう。だから人の生活は或《あるい》は宿命的であり或は自由であり得るといおう。その宿命的である場合は、その生活が正しき緊張から退縮した時である。正しい緊張に於て生活される間は個性は必ず絶対的な自由の意識の
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