中にある。だから一層正しくいえば、根柢的《こんていてき》な人間の生活は自由なる意志によって導かれ得るのだ。
同時に本能の生活には道徳はない。従って努力はない。この生活は必至的に自由な生活である。必至には二つの道はない。二つの道のない所には善悪の選択はない。故にそれは道徳を超越する。自由は sein であって sollen ではない。二つの道の間に選ぶためにこそ努力は必要とせられるけれども、唯|一筋道《ひとすじみち》を自由に押し進むところに何の努力の助力が要求されよう。
私は創造の為めに遊戯する。私は努力しない。従って努力に成功することも、失敗することもない。成功するにつけて、運命に対して謙遜《けんそん》である必要はない。又失敗するにつけて運命を顧みて弁疏《べんそ》させる必要もない。凡ての責任は――若しそれを強《し》いて言うならば――私の中にある。凡ての報償は私の中にある。
例えばここに或る田園がある。その中には田疇《でんちゅう》と、山林と、道路と、家屋とが散在して、人々は各※[#二の字点、1−2−22]その或る部分を私有し、田園の整理と平安とに勤《いそし》んでいる。他人の畑を収穫
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