ン・クルーソーにも自己に対しての道徳はあったと思う。何等の意味に於てであれ、外界の刺戟《しげき》に対して自己をよりよくして行こうという動向は道徳とはいえないだろうか。クルーソーが彼の為めに難破船まで什器《じゅうき》食料を求めに行ったのは、彼自身に取っての道徳ではなかったろうか。然《しか》しクルーソーはやがてフライデーを殺人者から救い出した。クルーソーとフライデーとは最上の関係に於て生きることを互に要求した。クルーソーは自己に対する道徳とフライデーに対する道徳との間に分譲点を見出さねばならなかった。フライデーも同じ努力をクルーソーに対してなした。この二人の努力は幸に一致点を見出した。かくて二人は孤島にあって、美しい間柄で日を過したのみならず、遂に船に救われて英国の土を踏むことが出来た。フライデーが来てからは、その孤島には対人的道徳即ち社会道徳が出来たけれども、クルーソー一人の時には、そこに一の道徳も存在しなかったと云おうとするのは、思い誤りでありはしまいか。道徳とは自己と外界(それが自然であろうと人間であろうと)との知識に基《もとい》する正しい自己の立場の決定である。だから、道徳は一人の
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