している。或る時は外界の刺戟に対して反射的に意識を動かして生活している。又或る時は外界の刺戟を待たずに、私の生命が或る已むなき内的の力に動かされて外界に働きかける。かかる変化はただ私の生命の緊張度の強弱によって結果される。これは智的活動、情的活動、意志的活動というように、生命を分解して生活の状態を現わしたものではない。人間の個性の働きを言い現わす場合にかかる分解法によるのは私の最も忌むところである。人間の生命的過程に智情意というような区別は実は存在していないのだ。生命が或る対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、若しくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といい、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けているのではない。もっと純一な統合的な力によって総轄されているのだ。だから少し綿密な観察者は、智と情との間に、情と意志との間に、又意志と智との間に、判然とはその何れにも従わせることの出来ない幾多の心的活動を発見するだろう。虹彩《こうさい》を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ
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