も私にはない。凡ての欠陥と凡ての醜さとを持ちながらも、この現在は私に取っていかに親しみ深くいかに尊いものだろう。そこにある強い充実の味と人間らしさとは私を牽《ひ》きつけるに十分である。この饗応《きょうおう》は私を存分に飽き足らせる。

        一〇

 然《しか》しながら個性の完全な飽満と緊張とは如何《いか》に得がたきものであるよ。燃焼の生活とか白熱の生命とかいう言葉は紙と筆とをもってこそ表わし得ようけれども、私の実際の生活の上には容易に来てくれることがない。然し私にも全くないことではなかった。私はその境界《きょうがい》がいかに尊く難有《ありがた》きものであるかを幽《かす》かながらも窺《うかが》うことが出来た。そしてその醍醐味《だいごみ》の前後にはその境に到り得ない生活の連続がある。その関係を私はこれから朧《おぼ》ろげにでも書き留めておこう。
 外界との接触から自由であることの出来ない私の個性は、縦令《たとい》自主的な生活を導きつつあっても、常に外界に対し何等かの角度を保ってその存在を持続しなければならない。或る時は私は外界の刺戟《しげき》をそのままに受け入れて、反省もなく生活
前へ 次へ
全173ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング