。赤青黄は元来白によって統一さるべき仮象であるからである。かくて私達が太陽の光線そのものを見窮《みきわ》めようとする時、分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉《ちしつ》することが出来ぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴《つか》むことは思いもよらない。帰納法は記述にのみ役立つ。然し本体の表現には役立たない。この簡単な原理は屡※[#二の字点、1−2−22]閑却される。科学に、従って科学的研究に絶大の価値をおこうとする現代にあっては、帰納法の根本的欠陥は往々無反省に閑却される。
さて私は岐路に迷い込もうとしたようだ。私は再び私の当面の問題に帰って行こう。
外界の刺戟をそのまま受け入れる生活を仮りに習性的生活(habitual life)と呼ぶ。それは石の生活と同様の生活だ。石は外界の刺戟なしには永久に一所《ひとところ》にあって、永い間の中にただ滅して行く。石の方から外界に対して働きかける場合は絶無だ。私には下等動物といわれるものに通有な性質が残っているように、無機物の生活さえが膠着《こうちゃく》していると見える。それは
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