ものも、人の実在と称えるものも、畢竟《ひっきょう》は意識の――それ自身が仮象であるところの――仮初《かりそ》めな遊戯に過ぎないと傍観する。そこに何等かの執着をつなぎ、葛藤を加えるのは、要するに下根|粗笨《そほん》な外面的見断に支配されての迷妄に過ぎない。それらの境を静かに超越して、嬰児の戯れを見る老翁のように凡《すべ》ての努力と蹉跌《さてつ》との上に、淋しい微笑を送ろうとする。そこには冷やかな、然し皮相でない上品さが漂っている。或は又凡てを容《い》れ凡てを抱いて、飽くまで外界の跳梁《ちょうりょう》に身を任かす。昼には歓楽、夜には遊興、身を凡俗非議の外に置いて、死にまでその恣《ほしいま》まな姿を変えない人もある。そこには皮肉な、然し熱烈な聡明が窺《うかが》われないではない。私はどうしてそれらの人を弾劾《だんがい》することが出来よう。果てしのない迷執にさまよわねばならぬ人の宿命であって見れば、各※[#二の字点、1−2−22]の瞬間をただ楽しんで生きる外に残される何事があろうぞとその人達はいう。その心持に対して私は白眼を向けることが出来るか。私には出来ない。人は或はかくの如き人々を酔生夢死の
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