して、愛の(即ち個性の)表現を試みようとする。又或る人は愛の純粋なる表現を欲するが故に前人の糟粕《そうはく》を嘗《な》めず、彼自らの表現手段に依ろうとする。前者はより多く智的生活に依拠し、後者はより多く本能的生活に依拠せんとするものである。若し更にジェームスの言葉を借りていえば、前者を strong−minded と呼び、後者を tender−hearted と呼ぶことが出来ようか。
 智的生活に依拠して個性を表現しようとする人は、表現の材料を多く身外に求める。例えば石、例えば衣裳《いしょう》、例えば軍隊、例えば権力。そして表現の量に重きをおいて、深くその質を省みない。表現材料の精選よりもその排列に重きをおく。「始めて美人を花に譬《たと》えた人は天才であるが、二番目に同じことをいった人は馬鹿だ」とヴォルテールがいった。少くとも智的生活に固執する人は美人を花に譬える創意的なことはしない。然しそれを百合《ゆり》の花若しくは薔薇《ばら》の花に譬えることはしない限りでない。その点に於て彼は明かに馬鹿でないことが出来る。十分に智者でさえあり得る。然しその人は個性の表現に於て delicacy の
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