らだ。
 世には多くの唖《おし》の芸術家がいる。彼等は人に伝うべき表現の手段を持ってはいないが、その感激は往々にして所謂《いわゆる》芸術家なるものを遙《はる》かに凌《しの》ぎ越えている。小児――彼は何という驚くべき芸術家だろう。彼の心には習慣の痂《かさぶた》が固着していない。その心は痛々しい程にむき出しで鋭敏だ。私達は物を見るところに物に捕われる。彼は物を見るところに物を捕える。物そのものの本質に於てこれを捕える。そして睿智《えいち》の始めなる神々《こうごう》しい驚異の念にひたる。そこには何等の先入的|僻見《へきけん》がない。これこそは純真な芸術的態度だ。愛はかくの如き階級を経て最も明かに自己を表現する。
 けれども私達の多くはこの大事な一点を屡※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》顧みないような生活をしてはいないか。ジェームスは古来色々に分派した凡ての哲学の色合は、結局それをその構成者の稟資《ひんし》(temperament)に帰することが出来るといっている。これは至言だといわなければならぬ。私達の生活の様式にもまた同様のことがいわれるであろう。或る人は前人が残し置いた材料を利用
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