二一

 私は澱《よど》みに来た、そして暫《しばら》く渦紋を描いた。
 私は再び流れ出よう。
 私はまず愛を出発点として芸術を考えて見る。
 凡《すべ》ての思想凡ての行為は表象である。
 表象とは愛が己《おの》れ自ら表現するための煩悶《はんもん》である。その煩悶の結果が即ち創造である。芸術は創造だ。故に凡ての人は多少の意味に於て芸術家であらねばならぬ。若《も》し謂《い》うところの芸術家のみが創造を司《つかさど》り、他はこれに与《あずか》らないものだとするなら、どうして芸術品が一般の人に訴えることが出来よう。芸術家と然らざる人との間に愛の断層があるならば、芸術家の表現的努力は畢竟《ひっきょう》無益ではないか。
 一人の水夫があって檣《ほばしら》の上から落日の大観を擅《ほしいま》まにし得た時、この感激を人に伝え得るよう表現する能力がなかったならば、その人は詩人とはいえない、とある技巧派の文学者はいった。然し私はそうは思わない。その荘厳な光景に対して水夫が感激を感じた以上は、その瞬間に於《おい》て彼は詩人だ。何故ならば、彼は彼自身に対して思想的にその感激を表現しているか
前へ 次へ
全173ページ中131ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング