活は愛するもの一人にかかわることだ。その結果がどうであったとしたところが、他人は絶対にそれを判断すべき尺度を持っていない。然《しか》るに智的生活に於ては心外に規定された尺度がある。人は誰でもその尺度にあてはめて、或る人の行為を測定することが出来る。だから基督の言葉は智的生活にあてはむべきものではない。基督は愛の生活の如何なるものであるかを知っておられたのだ。ただその現われに於《おい》ては愛から生れた行為と、愛の真似から生れた行為とを区別することが人間に取っては殆《ほと》んど不可能だ。だから人は人をさばいてはならぬのだ。しかも今の世に、人はいかに易々とさばかれつつあることよ。
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 犠牲とか、献身とか、義務とか、奉仕とか、服従の徳の説かれるところには、私達は警戒の眼を見張らねばならぬ。かくて神学者は専制政治の型に則《のっと》って神人の関係を案出した。かくて政治家は神人の例に則って君臣の関係を案出した。社会道徳と産業組織とはそのあとに続いた。それらは皆同じ法則の上に組立てられている。そこには必ず治者と被治者とがあらねばならぬ。そして治者に特権であるところのものは被治者には義
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