り廻して、お前はお前の寄木細工《よせぎざいく》を造り始めるのだ。そしてお前は一面に、悪魔でさえが眼を塞《ふさ》ぐような醜い賤《いや》しい思いをいだきながら、人の眼につく所では、しらじらしくも自分でさえ恥かしい程立派なことをいったり、立派なことを行《おこな》ったりするのだ。しかもお前はそんな蔑《さげす》むべきことをするのに、尤《もっと》もらしい理由をこしらえ上げている。聖人や英雄の真似《まね》をするのは――も少し聞こえのいい言葉|遣《づか》いをすれば――聖人や英雄の言行を学ぶのは、やがて聖人でもあり英雄でもある素地を造る第一歩をなすものだ。我れ、舜《しゅん》の言を言い、舜の行を行わば、即《すなわ》ち舜のみというそれである。かくして、お前は心の隅《すみ》に容易ならぬ矛盾と、不安と、情なさとを感じながら、益※[#二の字点、1−2−22]《ますます》高く虚妄《きょもう》なバベルの塔を登りつめて行こうとするのだ。
 悪いことには、お前のそうした態度は、社会の習俗には都合よくあてはまって行く態度なのだ。人間の生活はその欲求の奥底には必ず生長という大事な因子を持っているのだけれども、社会の習俗は平和――平和というよりも単なる無事に執着しようとしている。何事もなく昨日の生活を今日に繋《つな》ぎ、今日の生活を明日に延ばすような生活を最も面倒のない生活と思い、そういう無事の日暮しの中に、一日でも安きを偸《ぬす》もうとしているのだ。これが社会生活に強い惰性となって膠着《こうちゃく》している。そういう生活態度に適応する為めには、お前のような行き方は大変に都合がいい。お前の内部にどれ程の矛盾があり表裏があっても、それは習俗的な社会の頓着《とんちゃく》するところではない。単にお前が殊勝な言行さえしていれば、社会は無事に治まって泰平なのだ。社会はお前を褒《ほ》めあげて、お前に、お前が心|窃《ひそ》かに恥じねばならぬような過大な報償を贈ってよこす。お前は腹の中で心苦しい苦笑いをしながらも、その過分な報償に報ゆるべく益※[#二の字点、1−2−22]私から遠ざかって、心にもない犬馬の労を尽しつつ身を終ろうとするのだ。
 そんなことをして、お前が外部の圧迫の下に、虚偽な生活を続けている間に、何時しかお前は私をだしぬいて、思いもよらぬ聖人となり英雄となりおおせてしまうだろう。その時お前はもうお前自身ではなくなって、即ち一個の人間ではなくなって、人間の皮を被《かぶ》った専門家になってしまうのだ。仕事の上の専門家を私達は尊敬せねばならぬ。然し生活の習俗性の要求にのみ耳を傾けて、自分を置きざりにして、外部にのみ身売りをする専門家は、既に人間ではなくして、いかに立派でも、立派な一つの機械にしか過ぎない。
 いかにさもしくとも力なくとも人間は人間であることによってのみ尊い。人間の有する尊さの中、この尊さに優《まさ》る尊さを何処に求め得よう。この尊さから退くことは、お前を死滅に導くのみならず、お前の奉仕しようとしている社会そのものを死滅に導く。何故ならば人間の社会は生きた人間に依ってのみ造り上げられ、維持され、存続され、発達させられるからだ。
 お前は機械になることを恥じねばならぬ。若し聊《いささ》かでもそれを恥とするなら、そう軽はずみな先き走りばかりはしていられない筈《はず》だ。外部ばかりに気を取られていずに、少しは此方《こちら》を向いて見るがいい。そして本当のお前自身なるお前の個性がここにいるのを思い出せ。
 私を見出したお前は先ず失望するに違いない、私はお前が夢想していたような立派な姿の持主ではないから。お前が外部的に教え込まれている理想の物指《ものさし》にあてはめて見ると、私はいかにも物足らない存在として映るだろう。私はキャリバンではない代りにエーリヤルでもない。悪魔ではない代りに天使でもない。私にあっては霊肉というような区別は全く無益である。また善悪というような差別は全く不可能である。私は凡ての活動に於て、全体として生長するばかりだ。花屋は花を珍重するだろう。果物屋は果実を珍重するだろう。建築家はその幹を珍重するだろう。然し桜の木自身にあっては、かかる善悪差別を絶したところにただ生長があるばかりだ。然し私の生長は、お前が思う程|迅速《じんそく》なものではない。私はお前のように頭だけ大きくしたり、手脚《てあし》だけ延ばしたりしただけでは満足せず、その全体に於て動き進まねばならぬからだ。理想という疫病に犯されているお前は、私の歩き方をもどかしがって、生意気にも私をさしおいて、外部の要求にのみ応じて、先き走りをしようとするのだ。お前は私より早く走るようだが、畢竟は遅く走っているのだ。何故といえば、お前が私を出し抜いて、外部の刺戟《しげき》ばかりに身を任せて走り出して、何処か
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