、右の眼頭から左の眼に、左の眼尻から鬢《びん》の髪へとかけて、涙の跡はそこにも濡れたまま残っていた。おぬいは袖口を指先にまるめてそっ[#「そっ」に傍点]と押し拭った。それとともに、泣じゃくりのあとのような溜息が唇を漏れた。
 覚めてから覚えている夢も覚えていない夢も、母にはぐれたり、背《そむ》いたり、厭われたりするような夢ばかりなことはたしかだった。今見た夢もはっきり覚えていないのだったが、覚えていないのは覚えているよりもいっそう悲しい夢であるような気がした。
 今のおぬいの身の上として、天にも地にも頼むものは母一人きりなのだ、その母がおぬいをまったく見忘れている夢らしかった。怖いものを見窮《みきわ》めたいあの好奇心と同じような気持で、おぬいは今見た夢のそこここを忘却の中から拾いだそうとし始めた。
 母があれはおぬいではありませんときっぱり人々にいっていた。おかしなことをいう娘だといいそうな快活な笑いを唇のあたりに浮べながら。まわりにいる人たちもおぬいに加勢して、あれはあなたのお嬢さんですよといい張ってくれているのに母は冗談にばかりしているらしかった。おぬいはもしやと思って自分を見ると、たしかにいつものとおりの着物を着て、それは情けなそうな顔つきはしていたけれど自分の顔に相違なかった。(おかしなことには他人の顔を見るように自分の顔をはっきりと見ることができた)……おぬいは家に留守をして私の帰るのを待っていますから、家にさえ帰れば会えるにきまっていますと母は平気であるけれども、それはとんでもない間違だということをおぬいは知り抜いていた。家に帰ってみてどれほど驚きもし悲みもするだろうと思うと、母が不憫《ふびん》でもあり残される自分がこの上もなくみじめだった。その不幸な気持には、おぬいが不断感じている実感が残りなく織りこまれていた。もし万一母を失うようなことがあったらどうしようと思うとおぬいはいつでも動悸《どうき》がとまるほどに途方に暮れるのだが、そのみじめさが切りこむように夢の中で逼《せま》ってきた。それからその夢の続きはただ恐ろしいということのほかにははっきりと思いだされない。おぬいが母を見ている前で、おぬいでないものにだんだん変っていくので、我を忘れてあせったようでもある。母がどんどん行ってしまうのであとを追いかけようとするけれども、二人の間にはガラスのかけらがうざうざ[#「うざうざ」に傍点]するほど積まれていて、脚を踏み入れると、それが磁石《じしゃく》に吸いつく鉄屑《てつくず》のように蹠《あうら》にささりこんだようでもある。
 とにかくおぬいは死物狂いに苦しんだ。眼も見えないまでに心が乱れて、それと思わしい方に母恋しさの手を延ばしてすがり寄った。そして声を立ててひた泣きに泣いたのだった。
 夢が覚めてよかったと安堵《あんど》するその下からもっと恐ろしい本物の不吉が、これから襲ってくるのではないかとも危ぶまれた。緑色の絹笠のかかったラムプは、海の底のような憂鬱《ゆううつ》な光を部屋の隅々まで送って、どこともしれない深さに沈んでいくようなおぬいの心をいやが上にも脅《おびや》かした。
 おぬいは思わず肘《ひじ》を立てた。そしてそうすることが隠れている災難を眼の前に見せる結果になりはしないかと恐れ惑いながらも、小さな声で、
「お母さん」
 と呼んでみないではいられなかった。十二時ごろ病家から帰ってきた母の寝息は少しもそのために乱れなかった。
 もう一度呼んでみる勇気はおぬいにはなかった。自分の声におびえたように彼女はそっ[#「そっ」に傍点]と枕に頭をつけた。濡れた枕紙が氷のごとく冷えて、不吉の予覚に震えるおぬいの頬を驚かした。
 おぬいの口からはまた長い嘆息が漏れた。
 身動きするのも憚《はばか》られるような気持で、眼を大きく開いて、老境の来たのを思わせるような母の後姿を見やりながらおぬいはいろいろなことを思い耽《ふけ》った。
 何かに不安を感ずるにつけていつまでも思うのは、おぬいが十四の時に亡くなった父のことだった。細面で痩《や》せぎすな彼女の父は、いつでも青白い不精髯《ぶしょうひげ》を生やした、そしてじっと柔和な眼をすえて物を見やっている、そうした形でおぬいには思いだされるのだった。ある小さな銀行の常務取締だったが、銀行には一週に一度より出勤せずに、漢籍《かんせき》と聖書に関する書物ばかり読んでいた。煙草も吸わず、酒も飲まず、道楽といっては読書のほかには、書生に学資を貢《みつ》ぐぐらいのものだった。その関係から白官舎やそのほかの学生たちも今だに心おきなく遊びに来たりするのだった。
 父はおぬいの十二の時に脊髄結核《せきずいけっかく》にかかって、しまいには半身|不随《ふずい》になったので、床にばかりついていた。気丈《きじょう》な母は良人の病が不治だということを知ると、毎晩家事が片づいてから農学校の学生に来てもらって、作文、習字、生理学、英語というようなものを勉強し始めた。そして三月の後には区立病院の産婆養成所の入学試験に及第した。その名前が新聞に載《の》せられた時、それを父に気づかれまいとして母が苦心したのを、おぬいは昨日のことのように思いだすことができる。
 その父はいい父だった。少なくともおぬいにとっては汲みつくせない慈愛を恵んでくれた親だった。
「あれはどこからどこまであまり美しいから早死をしなければいいが」
 そう父が母に言っているのを偸《ぬす》み聞きしたこともあった。そして病気がちなおぬいが加減でも悪くすると、自分の床の側におぬいの床を敷かせて、自分の病気は忘れたように検温から薬の世話まで他人手《ひとで》にはかけなかった。
 それよりも何よりも、おぬいが父を思いだす時思いださずにはいられないのは、父が死ぬちょうど一週間前、突然おぬいに、部屋の中を一まわり歩いてみたいから肩を貸してくれといいだした時のことだった。おぬいももとより驚いたが、母はそれを思いもよらぬことだとさえいってとめて聴かなかった。父は母とおぬいとを静かに見やりながらいった。
「お前がたは分らないかもしれないが、男には、一生に一度、自分の力がどれほどあるものだか、それを出しきらなければ死ねないような気持が起るものだ。わしは今までお前がたに牽《ひ》かれてそれをようしなかった。……もうしかしわしは死ぬものとほぼ相場がきまった。今日はひとつわしの心にどれほど力があるかやってみるのだ。腰から下に通う神経は腐って死んでいると医者もいうが、わしはお前がたに奇蹟を見せてやろう。案じることはない」
 父は歩いた。おぬいも自分の肩に思ったより軽い父の重みを感じながら歩いた。歩きながら父はいった。
「おぬい、お前はもう十四になるなあ。強い肩になった。立派にお父さんの力になってくれる。……お前もやがて人の妻になるのだが、なったら、今日の心持を忘れないで良人といっしょに歩くんだぞ。忘れちゃあいけないよ」
 父の手がおぬいの肩でかすかに震えはじめた。
 父が首尾よく部屋を一周して病床に腰を卸《おろ》すと親子三人はひとりでに手を取り合っていた。そして泣いていた。
「お前がたは何をそう泣くのだ。わしは喜んで涙を流しているのに。……今日のような嬉しい日はない。……だがこんなことは医者にさえいう必要はないことだよ。こんな嬉しいことはめいめいの心の中に大事にしまっておくべきことだからな」
 苦しい呼吸の間から父はようやくこれだけのことをいって横になった。
 この出来事については母もおぬいも父の言葉どおり誰にもいわないでいる。いわないでいるうちにおぬいにとっては、それがとても口には出せないほど尊いものになっていた。
 おぬいは老境に来たのを思わせるような母の後姿を見つめながら、これを思いだすと、涙がまたもや眼頭から熱く流れだしてきた。啜泣《すすりな》きになろうとするのをじっと堪えた。……不断は柔和で打ち沈んだ父だったけれども何んという男らしい人だったろう。あの強い烈しい底力、それはもうこの家には、どの隅にも塵ほども残っていない。……淋しい、父が欲しい。父がもう一度欲しい。父のあの骨ばった手をもう一度自分の肩に感じてみたい。
 力の不足、自分一人ではどうしようもない力の不足――倚《よ》りすがることのできるものに何もかも打ち任《ま》かして倚《よ》りすがりたい憧《あこが》れ、――そしてどこにもそんなもののない喰い入るような物足らなさ。……気を鎮《しず》めて眠ろうとすればするほど、悲しみはあとからあとからと湧き返って、涙のために痛みながらも眠が冴《さ》えるばかりだった。
 おぬいはとうとうそっと起き上った。そして箪笥《たんす》の上に飾ってある父の写真を取って床に帰った。父がまだ達者だったころのもので、細面の清々《すがすが》しい顔がやや横向きになって遠い所をじっと見詰めていた。おぬいはそれを幾度も幾度も自分の頬に押しあてた。冷たいガラスの面が快い感触をほてった皮膚に伝えた。おぬいはその感触に甘やかされて、今度は写真を両手で胸のところに抱きしめた。
 涙がまた新たに流れはじめた。
 二度と悪夢に襲われないために、このままで夜の明けるのを待とうとおぬいは決心した。
 夜は深いのだろう。母の寝息は少しも乱れずに静かに聞こえつづけていた。おぬいはようこそ母を起さなかったと思った。
     *    *    *
 夜学校を教えるために、夜食をすますとすぐ白官舎を出た柿江は、創成川っぷちで奇妙な物売に出遇《であ》った。
 その町筋は車力や出面《でめん》(労働者の地方名)や雑穀商などが、ことに夕刻は忙がしく行き来している所なのだが、その奇妙な物売だけはことに柿江の注意を牽《ひ》いた。
 鉢巻の取れた子供の羅紗帽《らしゃぼう》を長く延びたざんぎり頭に乗せて、厚衣《あつし》の恰好をした古ぼけたカキ色の外套を着て、兵隊脚絆《へいたいきゃはん》をはいていた。二十四五とみえる男で支那人のような冷静で悧巧な顔つきをしていた。それが手ごろの風呂敷包を二枚の板の間に挾んで、棒を通して挾み箱のように肩にかついでいた。そして右の手には鼠色になった白木綿《しろもめん》の小旗を持っているのだが、その小旗には「日本服を改良しましょう。すぐしましょう」と少しも気取らない、しかもかなり上品な書体で黒く書いてあった。
 その小旗が風に靡《なび》いて拡がれば拡がったまま、風がなくなって垂れれば垂れたままで、少しの頓着もなく売声はもとより立てずに悠々《ゆうゆう》と歩いていくのだった。
 柿江も二十五だった。彼は何んとなくその物売に話しかけたくなった。そしてつかつかとその方に寄っていこうとした。その時彼は先夜西山と闘《たたか》わした議論のことを思った。
「貴様のように自分にも訳の判らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴わないのを軽薄というんだ」と西山の言った言葉がどうも耳の底に残っていて離れないでいた。それとこれとは何んの関係もないようだが、柿江にはきゅうにその物売に話しかけるのに気がひけだした。それゆえ彼は物売をやり過ごして創成川を渡ってしまった。
 次の瞬間に、柿江は今夜の夜学校の修身の時間にはあの物売の話をして聞かせようと考えていた。実行家とはああいう人間のことをいうのだと教えてみよう。そしてもしうまく書けたら新聞の寄書としても十分役立つに違いないとも思いめぐらしていた。左手を深々と内懐から帯の下にさし入れて、右手の爪をぶつりぶつりと囓《か》み切りながら。
     *    *    *
 柿江は自分でまた始まったなと思った。けれども何んといっても、その興奮が来ると、むりに抑《おさ》えつける気持にはなれなかった。自分の眼には、二十四五人の高等科の男女の生徒が、柿江の興奮に誘われてめいめいの度合いに興奮しながら、眼を輝かして柿江の能弁に聞き入っていた。それに誘われて柿江は自分がさらに興奮してゆくのを感じた。
「いいか、その旗には『日本服を改良しましょう。すぐしましょう』と書いてあるんだ。とうとうその男は先生が一生懸命に介抱し
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