じゃないか。清逸が学問で行くなら、お前は実地の方で兄さんを見かえしてやるがいいんだ」
 純次は黙ってしまった。父は少し落ち着いたらしく、半分は言い聞かすような、半分は独語《ひとりごと》をいうような調子になった。
「中島は水田をやっているうちに、北海道じゃ水が冷《ひや》っこいから、実のりが遅くって霜に傷《いた》められるとそこに気がついたのだ。そこで田に水を落す前に溜《たまり》を作っておいて、天日《てんぴ》で暖める工夫をしたものだが、それが図にあたって、それだけのことであんな一代|分限《ぶげん》になり上ったのだ。人ってものは運賦天賦《うんぷてんぷ》で何が……」
 そのあとは声が落ち着いていくので、かすれかすれにしか聞こえなくなった。
「兄さんは悪い病気でねえか」
 しばらくしてから突然純次のこう激しく叫ぶ声が聞こえた。今度は純次は母と言い争いを始めたらしい。母も何か言ったようだったが、それは聞こえなかった。
「肺病はお母さんうつるもんだよ」
 純次の声がまた。それは聞こえよがしといってよかった。
「そうしたわけのものでもあるまいけんど」
「うんにゃそうだ」
 そのあとはまた静かになった。清
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