いのを軽薄というんだ。けれどもだ、俺はとにかく実行はしているぞ。哲学はその後に生れてくるものなんだ」
西山は軽薄という言葉を聞くと癪《しゃく》にさわったが、柿江の長談義を打ち切るつもりで威《おど》かし気味にこういった。
けれども柿江はほとんど泥酔者《でいすいしゃ》のようになってしまっていた。その薄い唇は言葉を巧妙に刻みだす鋭い刃物のように眼まぐるしく動いた。人見はいつの間にかこそこそ[#「こそこそ」に傍点]と二階の自分の部屋に行ってしまった。
そこに園が静かにはいってきた。夜寒で赤らんだ頬を両手で撫でながら、笑みかけようとしたらしかったが、少し殺気だったその場の様子にすぐ気がついたらしく、部屋の隅をぐるっ[#「ぐるっ」に傍点]と廻って窓の方に行って坐った。
柿江はまだ続けていた。西山はもう実際うるさくなった。自分の生活とは何んの関係もない一つの空想的な生活が石ころのようにそこに転がっているように思った。
「寒いか」
戸外の方を頤《あご》でしゃくりながら、柿江には頓着《とんちゃく》なく園に尋ねた。
その拍子に柿江がぷっつりと黙った。憑《つ》いていた狐が落ちでもしたように。そしてきまり悪るげにそこにいた三人の顔に眼を走らすと慌てて爪を噛みはじめた。
「渡瀬君まだいたんだね。僕はもし帰ってしまうといけないと思ってかなり急いだ」
「おたけさんから何か伝言《ことづけ》があったろう」
「いいえ」
園はまるでおとなしい子供のようににこついた。
「柿江君さっきの葉書はどうしたろう。渡瀬君に見せてくれたの」
笑うべきことが持ち上っていた。星野の葉書は柿江の手の中に揉みくだかれて、鼠色の襤褸屑《ぼろくず》のようになって、林檎《りんご》の皮なぞの散らかっている間に撒《ま》き散らされていた。
「困るなあ、それにね、三隅のおぬいさんの稽古を君に頼みたいからと書いてあったんだのに……それだから渡瀬君に渡してくれって頼んでおいたじゃないか」
「君にとは俺にかい」
園に顔を見つめられながら、半分は剽軽《ひょうきん》から、半分は実際合点がいかない風でガンベは聞き返した。法螺《ほら》吹で、頭のいいことは無類で、礼儀知らずで、大酒呑で、間歇的《かんけつてき》な勉強家で、脱線の名人で、不敵な道楽者……ガンベはそういう男だったのだから、少なくとも人が彼をそう見ていることを知っていたから。
前へ
次へ
全128ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング