った今の失敗で懲《こ》りたらしく自分を薦《すす》めようとはしなかった。
 送り手の資格について六人の青年の間にしばらく冗談口《じょうだんぐち》が交わされた。六人といっても園だけは何んにもいわなかった。ガンベがいった。
「一番資格のない俺の発言を尊重しろ。人見の奴は口を拭《ぬぐ》っていやがるが貴様は偽善者だからなあ。柿江は途中で道を間違えるに違いないしと。西山、貴様はまた天からだめだ。気まぐれだから送り狼《おおかみ》に化けぬとも限らんよ。おたけさん、まあ一番安全なのは小人森村で、一番思いやりの深いものは聖人園だが、どっちにするかい」
 おたけは送ってもらわないでもいいといって、森村と園とを等分に流し眄《め》で見やった。西山はもう万事そんなことに興味を失ってしまった。園が送ることになっておたけといっしょに座を立っていった。その時星野からの葉書を自分の側に坐っていた柿江に何かいいながら手渡した。
 とにかく一人の娘の見送手などに選ばれるというのはブルジョア風の名誉にすぎない。
「園にはいやにブルジョア臭いところがあるね」
 自分の言葉が侮蔑的《ぶべつてき》に発せられたのを西山は感じた。
「そりゃ貴様、氏と生れださ。貴様のような信州の山猿、俺のようなたたき大工の倅には考えられないこった。ブルジョアといえば森村も生れは土百姓のくせにいやに臭いな」
 ガンベはつけつけこういった。
 けれどもおたけがいなくなると部屋の調子がいわば一オクターヴ低くなった。その代り誰も彼もが、より誰も彼もらしくなった。会話は自然に纏まって本筋に流れこんだ。人見は軽い機智の使いどころがなくなって蔭に廻った。西山の気分はまた前どおりの黙って坐ってはいられないような興奮に帰っていった。
「そうかなあ」
 三時下《さんときさが》ってから独語《ひとりごと》のような返事をして、森村は眠そうな薄眼をしながらすましていた。
 マラーは彼が宮殿と呼ぶ襤褸籠《ぼろかご》のような借家の浴室で、湯にひたりながら書きものをしている。その眼の前の壁には、学校で使い古したらしい仏蘭西《フランス》の大掛図《おおかけず》が、皺くちゃのまま貼りつけてある。突然玄関の方で、彼の情婦が、聞き慣れない美しい声を持った婦人と烈《はげ》しくいい争っているけはいがする。マラーはしばらくの間眉をひそめて聞耳を立てていたが、仰向《あおむけ》に浴漕に浸
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