んということなく園から眼を放して仰向けに天井を見た。白い安西洋紙で張りつめた天井には鼠の尿ででもあるのか、雲形の汚染《しみ》がところどころにできている。象の形、スカンディナヴィヤ半島のようにも、背中合せの二匹の犬のようにも見える形、腕のつけ根に起き上り小法師《こぼし》の喰いついた形、醜《みにく》い女の顔の形……見なれきったそれらの奇怪な形を清逸は順々に眺めはじめた。
さすがの園もいろいろな意味で少し驚いたらしかった。最後の瞬間までどんなことでも胸一つに納《おさ》めておいて、切りだしたら最後貫徹しないではおかない清逸の平生を知らない園ではないはずだ。だがあの健康で明日突然千歳に帰るということも、おぬいさんに英語を教えろということも、すべてがあまりに突然に思えたらしかった。清逸が、象の形、スカンディナヴィヤ半島のようにも、背中合せの二匹の犬のようにも見える形、腕のつけ根に起き上り小法師の喰いついた形から醜い女の顔の形へ視線を移したころ、
「では君もいよいよ東京に行くの」
と園が言った。そしておぬいさんの手紙を素直に洋服の内|衣嚢《かくし》にしまいこんだ。
園はおぬいさんに牽《ひ》きつけられている、おぬいさんについては一言もいわないではないか。……清逸はすぐそう思った。それともおぬいさんにはまったく無頓着《むとんちゃく》なのか。とにかくその人の名を園の口から聞かなかったのは……それはやはり物足らなかった。園の感情がいくらかでも動くのを清逸は感じたかったのだ。
「西山君も行くようなことをいっていたが……」
園は間をおいてむりにつけ足すようにこれだけのことをいった。
西山がそんなたくらみをしているとは清逸の知らないことだった。清逸は心の奥底ではっと思った。自分の思い立ったことを西山づれに魁《さきが》けされるのは、清逸の気性として出抜かれたというかすかな不愉快を感じさせられた。
「もっとも西山君のことだから、言いたい放題をいっているかもしれないが……」
清逸の心の裏をかくとでもいうような言葉がしばらくしてからまた園の唇を漏《も》れた。清逸はかすかに苦しい顔をせずにはいられなかった。
二時間目の授業が始まるからといって園が座を立ったあと、清逸は溜息《ためいき》をしたいような衝動を感じた。それが悪るかった。自然に溜息が出たあとに味われるあの特殊な淋しいくつろぎは感ずる
前へ
次へ
全128ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング