事は知っていました。またそこに行く途中には柵《さく》で囲まれた六つの農場と、六つの門とがあるという事を、百姓から聞かされていました。
でいよいよ出かけました。
やがて二人は石ころや木株のある険しい坂道《さかみち》にかかりましたので、おかあさんは子どもを抱きましたが、なかなか重い事でした。
この子どもの左足はたいへん弱くって、うっかりすると曲がってしまいそうだから、ひどく使わぬようにしなければならぬと、お医者の言った事があるのでした。
わかいおかあさんはこの大事な重荷のために息を切って、森の中は暑いものだから、汗《あせ》の玉が顔から流れ下りました。
「のどがかわきました、ママ」
とおさないむすめは泣きつくのでした。
「いい子だからこらえられるだけこらえてごらんなさい。あちらに着きさえすれば水をあげますからね」
とおかあさんは言いながら、赤《あか》ん坊《ぼう》のようなかわいたその子の口をすうてやりますと、子どもはかわきもわすれてほおえみました。
でも日は照り切って、森の中の空気はそよともしません。
「さあおりてすこし歩いてみるんですよ」
と言いながらおかあさんはむすめをおろしました。
「もうくたびれてしまったんですもの」
子どもは泣《な》く泣くすわりこんでしまいます。
ところでそこにきれいなきれいな赤|薔薇《ばら》の色をした小さい花がさいて巴旦杏《はたんきょう》のようなにおいをさせていました。子どもはこれまでそんな小さな花を見た事がなかったものですから、またにこにことほおえみましたので、それに力を得て、おかあさんは子どもを抱き上げて、さらに行く手を急ぎました。
そのうちに第一の門に来ました。二人はそこを通って跡《あと》に※[#「饌」の「しょくへん」に代えて「金」、第4水準2−91−37]《かきがね》をかけておきました。
するとどこかで馬のいななくような声が聞こえたと思うと、放れ馬が行く手に走り出て道のまん中にたちふさがって鳴きました。その鳴き声に応ずる声がまた森の四方にひびきわたって、大地はゆるぎ、枝はふるい、石は飛びました。しかして途方にくれた母子二人は二十|匹《ぴき》にも余る野馬の群れに囲まれてしまいました。
子どもは顔をおかあさんの胸《むね》にうずめて、心配で胸の動悸《どうき》は小時計《しょうどけい》のようにうちました。
「私こわい」
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