なってしまいました。
 こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
 おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言って断《こと》わってしまいました。
 で鳩は今度は牧場を飛《と》び越《こ》して、ある百姓《ひゃくしょう》がしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六|尺《しゃく》も土のある様子《ようす》はまるで墓のあなの底にでもいるようでした。
 あなの中にいて、大空も海も牧場も見ないこんな人こそは、きっと天国に行きたいにちがいないと思いましたから、鳩は木の枝《えだ》の上で天国の歓喜を鳩らしく歌い始めました。
 ところが百姓は、
「いやです。私はまず井戸を掘らんければなりません。でないと夏分のお客さんは水にこまるし、あのかわいそうな奥《おく》さんと子ども衆もいなくなってしまいますからね」
 と言いました。
 で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引《ひ》き網《あみ》をしていました。鳩は蘆《あし》の中にとまって歌いました。
 その男も言いますには、
「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でないと子どもらがひもじいって泣《な》きます。あとの事、あとの事。まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」
 で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側《えんがわ》に出て手ミシンで縫物《ぬいもの》をしていました。顔は百合《ゆり》の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪《も》のベールのような黒い髪《かみ》、しかして罌粟《けし》のような赤い毛の帽子《ぼうし》をかぶっていました。奥さんは聖ヨハネの祭日にむすめに着せようとして、美しい前掛《まえか》けを縫っ
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