いきょうのある子どもの目や、白目の多過ぎるおこったらしい目や、心の中まで見ぬきそうなすきのない目などがありました。またそこに死んでいるむすめをなつかしそうに打ち見やる、大きなやさしい母らしい目もありまして、その眼中にはすき通るような松やにの涙が宿って、夕日の光をうけて金剛石《こんごうせき》のようにきらきら光っていました。
「そこにいるお嬢《じょう》さんはねむっていらっしゃるの」
 と子どもははじめて死骸《しがい》に気がついて、おかあさんにたずねました。
「そうです、ねむっていらっしゃるんです」
「花よめさんでしょうか、ママ」
「そうです花よめさんです」
 よく見るとおかあさんはそのむすめを見知っているのでした。そのむすめは真夏のころ帰って来るあの船乗りの花よめとなるはずでしたが、その船乗りが秋にならなければ帰れないという手紙をよこしたので、落胆《らくたん》してしまったのでした。木の葉が落ちつくして、こがらしのふき始める秋まで待つ事はたえ切れなかったのです。
 おかあさんは鳩の歌に耳をかたむけて、その言うことばがよくわかっていたのですから、この屋敷《やしき》を出て行くにつけても行く先が知れていました。
 重い手かごを門の外に置いて、子どもを抱き上げて、自分と海岸との間に横たわる広野をさしておかあさんは歩きだしました。その野は花の海で、花粉のためにさまざまな色にそまったおかあさんの白い裳《もすそ》のまわりで、花どもが細々とささやきかわしていました。蜂鳥《はちどり》や、蜂《はち》や、胡蝶《こちょう》が翅《つばさ》をあげて歌いながら、綾《あや》のような大きな金色の雲となって二人の前を走って歩きました。おかあさんは歩みも軽く海岸の方に進んで行きました。
 川の中には白い帆艇《はんてい》が帆《ほ》をいっぱいに張って、埠頭《ふとう》を目がけて走って来ましたが、舵《かじ》の座《ざ》にはだれもおりませんでした。おかあさんは花と花のにおいにひたりながら進みますから、その裳は花床よりもなおきれいな色になりました。
 おかあさんは海岸の柳《やなぎ》の木陰に足をとめましたが、その柳の幹と枝とにはさまった巣《す》が、風のまにまに柳がなびくにつれて、ゆれ動いて小鳥らを夢《ゆめ》にさそいます。むすめはその小鳥らをなでてやりたがりました。
「いえ、鳥の巣にはふれるものではありません」
 とおかあさん
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