広津氏に答う
有島武郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)泉鏡花《いずみきょうか》氏
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私が正月号の改造に発表した「宣言一つ」について、広津和郎氏が時事紙上に意見を発表された。それについて、お答えする。
広津氏は、芸術は超階級的超時代的な要素を持っているもので、よい芸術は、いかなる階級の人にも訴える力を持っている。それゆえ私が芸術家としての立場を、ブルジョア階級に定め、その作品はブルジョアに訴えるために書かれるものだと、宣言したに対して、あまりに窮屈な平面的な申し出であると言っていられる。芸術に超階級的超時代的の要素があるのは、広津氏を待たないでも知れきった事実である。その事実は芸術に限られたことでもない。政治の上にも、宗教の上にも、その他人間生活のすべての諸相の上にかかる普遍的な要素は、多いか少ないかの程度において存在している。それを私は無視しているものではない。それはあまりに明白な事実であるがゆえに、問題にしなかっただけのことだ。
私の考えるところによれば、おのずから芸術家と称するものをだいたい三つに分けることができる。第一の種類に属する人は、その人の生活全部が純粋な芸術境に没入している人で、その人の実生活は、周囲とどんな間隔があろうと、いっこうそれを気にしない。そうして自己独得の芸術的感興を表現することに全精力を傾倒するところの人だ。もし、現在の作家の中に、例を引いてみるならば、泉鏡花《いずみきょうか》氏のごときがその人ではないだろうか。第二の人は、芸術と自分の実生活との間に、思いをさまよわせずにはいられないたちの人である。自分の芸術に没入することは、第一の人のようにあることはどうしてもできない。自分の実生活と周囲の実生活との間に或る合理的な関係をつくらなければ、その芸術すら生み出すことができないと感ずる種類の人である。第三の種類に属する人は、自分の芸術を実生活の便宜に用いようとする人である。その人の実生活は周囲の実生活と必ずしも合理的な関係にある必要はない。とにかく自分の現在の生活が都合よくはこびうるならば、ブルジョアのために、気焔《きえん》も吐こうし、プロレタリアのために、提灯《ちょうちん》も持とうという種類の人である。そしてその人の芸術は、当代でいえば、その人をプティ・ブルジョアにでも仕上げてくれれば、それで目的をはたしたと言ってもいいような芸術である。芸術家というものの立場より言うならば第一の種類の人は最も敬うべき純粋な芸術家であり、第二の種類の人は、芸術家としては、いわゆる素人《しろうと》芸術家をもって目さるべきものであり、第三の種類の人は悪い意味の大道芸人とえらぶ所がない人である。
ところで、私自身は第一の種類に属する芸術家でありうるかというのに、不幸にしてそうではない。私は常に自分の実生活の状態についてくよくよしている。そして、その生活と芸術との間に、正しい関係を持ちきたしたいと苦慮している、これが私の心の実状である。こういう心事をもって、私はみずからを第一の種類の芸術家らしく装うことはできない。装うことができないとすれば、勢い「宣言一つ」で発表したようなことを言わねばならぬのは自然なことである。「宣言一つ」には、できるだけ平面的にものを言ったつもりだが、それでもわからない人にはわからないようだから、なおいっそう平面的に言うならば、第一、私は来たるべき文化がプロレタリアによって築き上げらるべきであり、また築き上げられるであろうと信ずるものである。ブルジョアジーの生活圏内に生活したものは、誰でも少し考えるならば、そこの生活が、自壊作用をひき起こしつつあることを、感じないものはなかろう。その自壊作用の後に、活力ある生活を将来するものは、もとよりアリストクラシーでもなければ、富豪階級でもありえぬ。これらの階級はブルジョアジー以前に勢力をたくましゅうした過去の所産であって、それが来たるべき生活の上に復帰しようとは、誰しも考えぬところであろう。文芸の上に階級意識がそう顕著に働くものではないという理窟は、概念的には成り立つけれども、実際の歴史的事実を観察するものは、事実として、階級意識がどれほど強く、文芸の上にも影響するかを驚かずにはいられまい。それを事実に意識したものが文芸にたずさわろうとする以上は、いかなる階級に自分が属しているかを厳密に考察せずにはいられなくなるはずだ。
しからば、来たるべき時代においてプロレタリアの中から新しい文化が勃興するだろうと信じている私は、なぜプロレタリアの芸術家として、プロレタリアに訴えるべき作品を産もうとしないのか。できるならば私はそれがしたい。しかしながら、私の生まれかつ育った境遇と、私の素養とは、それをさせないことを十分意識するがゆえ
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