あとから婆やのいる方に駈けていらしった。
「婆や……どうしたの」
 お母さんは僕を押しのけて、婆やの側に来てこう仰有《おっしゃ》った。
「八っちゃんがあなた……碁石でもお呑《の》みになったんでしょうか……」
「お呑みになったんでしょうかもないもんじゃないか」
 お母さんの声は怒った時の声だった。そしていきなり婆やからひったくるように八っちゃんを抱き取って、自分が苦しくってたまらないような顔をしながら、ばたばた手足を動かしている八っちゃんをよく見ていらしった。
「象牙《ぞうげ》のお箸《はし》を持って参《まい》りましょうか……それで喉《のど》を撫《な》でますと……」婆やがそういうかいわぬに、
「刺《とげ》がささったんじゃあるまいし……兄さんあなた早く行って水を持っていらっしゃい」
 と僕の方を御覧《ごらん》になった。婆やはそれを聞くと立上ったが、僕は婆やが八っちゃんをそんなにしたように思ったし、用は僕がいいつかったのだから、婆やの走るのをつき抜《ぬけ》て台所に駈けつけた。けれども茶碗《ちゃわん》を探してそれに水を入れるのは婆やの方が早かった。僕は口惜《くや》しくなって婆やにかぶりついた。

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