れられる事を前から覺悟してゐた。牢獄生活の空想は度々彼れの頭に釀された。牢獄も如何する事も出來ない孤獨と、其孤獨の報酬たるべき自由とが、暗く、冷たい、厚い牢獄の壁を劈いて勝手に流れ漂ふのを想像するのは、彼れの一番快い夢だつた。
然しその時彼れはその夢を疑はないではゐられない程の親しみを以て路傍の小さな井戸を見た。その井戸は三尺にも足らない程の淺さで、井戸がはも半分腐つてゐたが、綺麗に掃除が行き屆いてゐて、林檎箱のこはれで造つたいさゝかのながし[#「ながし」に傍点]も塵一つ溜つてゐなかつた。彼れは其處に人の住んでゐる事を今まで感じた事のないやうな感じ方で強く感じた。牢獄はこんな親しみのある場面を彼れの眼から遠けるだらう。
彼れは彼れの孤獨の自由を使つて、牢獄からこの井戸の傍に來る事が出來るであらうか。
とう/\雨が落ちて來た。遠い所から、木の葉をゆする風につれて、ひそやかな雨の脚が近づいた。
彼れの方に向つて雨の脚は近づいて來た。彼れは雨の方に向つて足を早めた。白く塵ばんだ街道は見る中に赤黒く變つて行つて、やがて凹んだ所に水溜りが出來、それがちよろ[#「ちよろ」に傍点]/\と流れ
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