を、きょう始めて半日の余も顔を見合わさずに過ごして来たのが思った以上に物さびしく、同時にこんな所で思いもかけず出あったが予想のほかに満足であったらしい倉地の顔つきを見て取ると、葉子は何もかも忘れてただうれしかった。そのまっ黒によごれた手をいきなり引っつかんで熱い口びるでかみしめて労《いたわ》ってやりたいほどだった。しかし思いのままに寄り添う事すらできない大道《だいどう》であるのをどうしよう。葉子はその切《せつ》ない心を拗《す》ねて見せるよりほかなかった。
 「わたしもうあの宿屋には泊まりませんわ。人をばかにしているんですもの。あなたお帰りになるなら勝手にひとりでいらっしゃい」
 「どうして……」
 といいながら倉地は当惑したように往来に立ち止まってしげしげと葉子を見なおすようにした。
 「これじゃ(といってほこりにまみれた両手をひろげ襟頸《えりくび》を抜き出すように延ばして見せて渋い顔をしながら)どこにも行けやせんわな」
 「だからあなたはお帰りなさいましといってるじゃありませんか」
 そう冒頭《まえおき》をして葉子は倉地と押し並んでそろそろ歩きながら、女将《おかみ》の仕打ちから、女中
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